2020年上半期映画ベスト17 車に恋に戦争に…精鋭揃いの上半期!

2020年上半期映画ベスト17

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お久しぶりです。早くも2020年上半期が終わろうとしていますね。どの映画好きも同じだとは思いますが、特に私は卒業論文等で年始が忙しかったこともあり、コロナによる自粛以前もあまり映画館に足を運べなかった上半期。新作の鑑賞本数は16本(+Netflix作品1本)というなんとも少ない数ですが、いつも通り全ての作品をランキング形式で発表したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

17位~11位

17位「キャッツ」

ごめんなさい。ビジュアル以外の部分がより怖かったんです…。https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/30/103025?_ga=2.120621963.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

16位「リチャード・ジュエル」

観客にさえ偏見を生じさせ、それさえもひっくり返す大逆転劇は、今だからこそ描かれるべき映画でした。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/30/183711?_ga=2.102887171.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

15位「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」

作家にとって”作品”とは何なのかを描くミステリー。濃密で、最後まで展開の読めない雪だるま式の謎解きは見るものを全く飽きさせないんです。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/25/004735?_ga=2.57860905.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

14位「囚われた国家」

正直地味な内容ながら、皮肉の効いた”自由の国アメリカ”がクスッと笑える作品。骨太SFを楽しみたい方は是非。https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/06/11/000057?_ga=2.136890419.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

13位「ジョン・デロリアン

デロリアン”という車に、人生を狂わされていく男達。カッコいい人がバカにされて、それでもなおカッコよく見えるという構図はまさしく”デロリアン”という車を表しているんです。デロリアン含め、80年代アメリカの雰囲気が最高に楽しい作品でした。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/29/011415?_ga=2.162242623.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

12位「タイラー・レイク -命の奪還」

Netflixオリジナル作品。なぜネトフリ作品は、ネット環境で見る前提なのにこんなにもアクションが面白いんでしょうか。「6アンダーグラウンド」同様に、映画館で見たくなるような現代アクション映画の最高峰のような作品でした。

 

 

11位「フォードvsフェラーリ

かっこいい車に、最高のエンジン音、そしてクールな男達。他に何が必要なんでしょうか。この映画には友情、努力、勝利の全て詰まっている!!

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/17/025306?_ga=2.35808803.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

 

 

 

 

ベスト10

 

10位

「テルアビブ・オン・ファイア」

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イスラエルパレスチナ問題をまさかのコメディとして描く快作。最初は笑っていいんだかわからないが、この問題を逆手に取ったギャグの連発には耐えきれずに笑っちゃうこと間違いなし。難しい問題だからこそ、映画でぐらい笑ってみようよ…。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/02/09/005943?_ga=2.125020041.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

9位

「パラサイト 半地下の家族」

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アカデミー賞作品賞受賞という快挙を成し遂げた大傑作。貧乏である自分たちの人生、身の丈を見返してしまうような、お腹が痛くなるような話なんだけど、話自体はコメディだというこのアンバランス感が最高に魅力的。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/16/015457?_ga=2.61908143.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

8位

「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」

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ミステリーって映画よりも小説向きだと思うんです。しかし、それを逆手に取ることで、映画でしかできないミステリーを作り出したライアンジョンソン監督は凄い。今後のシリーズ化も楽しみな探偵モノ。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/02/04/230910?_ga=2.66105261.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

7位

「'96」

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インディアンムービーウィーク2019で上映されたインド映画。絶対に結ばれてはいけない二人が、数十年ぶりに出会うことで起こる悲しい一夜のお話。好きで好きで仕方がないのに、1歩踏み出すことの許されない大人の恋は、限定公開は勿体無さすぎます…。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/07/213448?_ga=2.121349131.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

6位

ランボー ラスト・ブラッド映画『ランボー ラスト・ブラッド』 公式サイト

ランボーという男の生き様を見てきたからこそ、彼を怒らすことが如何に恐ろしいかを知っている。そんな前提を踏まえたからこそできた、単純明快な”舐めてた相手が殺人マシーンでした”モノの新境地。ラスト30分の過剰な暴力は、絶対に映画館で見るべき。

 

 

 

5位

「音楽」

アニメーション映画「音楽」(監督:岩井澤健治)公式サイト – 2020年1 ...

7年かけ、ほぼ手描きで出来上がった奇跡のようなアニメ作品。感情が読み取れそうで読み取れない表情、無骨なのに魅力的な研二と、彼を慕う二人が最高に面白いんです。

この映画を見ると、青春は”何かを始める瞬間”に満ち溢れていたというのを思い出すはず。

 

 

 

4位

「1917 命をかけた伝令」1917 命をかけた伝令』感想|チェる・ゲバラ|note

”映画館で見るべき作品”は数多あれど、本作ほど映画館での鑑賞こそ重要な作品は中々ないはず。映画がワンカットでひとつなぎになることで、まるで絵画を眺めているような感覚にさえ陥ること間違いなし。

 

 

 

 

 

 

3位

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語

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四姉妹それぞれが悩み、成長していく中で見出す幸せの形。女性に向けた映画ということを飛び越え、本作は現代に生きる人々全員に”幸せ”を問いただしてくれる。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/06/18/223331?_ga=2.87793691.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

 

 

2位

ジョジョ・ラビット」

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人と関わることが苦手な少年時代を過ごした自分にとって、本作はまさにドンピシャな作品でした。自分が少年時代に助けられたモノ、そしてそれらから離れてしまった自分を、それでも肯定してくれる大好きな映画です。

https://falkenblog.hatenablog.com/entry/2020/01/23/004843?_ga=2.94940319.226162702.1593333077-1013784192.1577406944

 

 

 

 

 

 

1位

「初恋」First Love (@First_Love_Film) | Twitter

ありがとう三池崇史監督。また10年、生きられるよ。

日本ではBlu-ray未発売など頭に「?」が浮かぶ本作ですが(海外版Blu-ray購入済み)、皆んなが大好きな三池崇史タランティーノを混ぜ込んだような、そんなの面白くないわけない、言わば”ズルい”作品。バカが集まって、バカなことを繰り広げていく映画なんて、楽しいに決まってるじゃない!!

しっとり終わるラストも含め、堂々の1位でした。

 

 

 

以上、17作品のランキングでした。2020年上半期は、鑑賞本数こそ少ないものの、面白い作品の多い”精鋭揃い”な半年でした。下半期はさらなるコロナ対策に注意しつつ、映画館にも足を運びたいと思います。

長い記事になってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」感想 結婚、作家志望、お金持ち。幸せな人生には”結果”と”過程”が溢れている。

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語エマ・ワトソンら出演で4姉妹の人生を描く映画「Little Women(若草物語 ...

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

19世紀、ニューヨーク。1人の女性が、街を駆け抜けていた。作家志望のジョーは、家庭教師をしながら出版社に足を運んでいた。

彼女は四姉妹の次女。彼女の歩んできた子供時代、そして彼女達がこれから歩む”現実”は、あまりに残酷で幸せな日々だった。

 

100年以上愛される「若草物語」が、全ての人類に向けて現代に蘇る。

 

予告https://www.youtube.com/watch?v=AsVOg6N_hGI

 

 

 

 

 

愛おしい四姉妹

はじめに、私は1949年版「若草物語」しか見たことがない若草物語弱者です。原作などに言及することは出来ませんので悪しからず。

1949年版にも本作にも通づる魅力は、四姉妹の暮らしぶりです。性格も夢も違う四姉妹は時に喧嘩したり、時に意見が分かれたりするけれど、それでも仲良しであることには変わりない、母を愛していることに変わりはないあの四姉妹こそが、「若草物語」を構成する最重要なピースだと思います。

1949年版ももちろんこの四姉妹について魅力たっぷりに描かれていましたが、本作ではより人間らしく、生きた演出をしています。会話が途切れないように、四姉妹がそれぞれバラバラなことをガヤガヤ話すテンポを重視しているんですよね。映画的な意味深で強調的な会話では無く、あえて聞こえづらくさえなってしまうほどに会話を”かぶせる”ことで、四姉妹はどのシーンでもそれぞれバラバラに考え発言していることが伝わってくる。1つの目的に向かって演技するのではなく、四人ともバラバラなんですよね。これこそ、本作が描こうとしたテーマに大きく関わってくるんです。

 

 

 

 

幸せの形

そんな四姉妹はそれぞれが将来の夢、幸せを目指して生きている。

長女メグは結婚や優雅な暮らしのような”大人”に憧れを持っています。1番のお姉さんだからこそ、早く大人になりたい、ならなくちゃという気持ちが前に出ているんです。そんなメグは、お金持ちではないけど人格者であるジョンと結婚するんですが、この結婚がまさに現代的。愛でお金は稼げないし、でもメグには完璧主義でお姉さんというプライドがある。後述しますがエイミーがヨーロッパで大きく羽ばたいて行こうとしているのを、なんとかその先に居たいというプライドから身の丈に合わないドレス生地を買ってしまう。愛という表層的な幸せに包まれた、結婚生活という現実的な問題にメグは悩まされるんです。

次女のジョーは作家志望。結婚は女の宿命だという考えへの反骨精神から、絶対に結婚なんてしないと固く決意しているんです。そんなジョーを悩ませるのは、虚無感。結婚なんて、愛なんてと言っている彼女でも、寂しいと言う気持ちが湧いてきてしまう。生物としてのつがいを結婚という契約システムとして成立させてしまった人間にとって、寂しさを癒す唯一の方法は結婚。寂しさを克服したい人間的な欲求と、女の可能性を潰したくないという意思が彼女の中で葛藤しているんです。

四女のエイミーはお金持ちに憧れています。わがままでトラブルメーカーなんだけど、彼女は自分の人生に何が必要かを理解しているんですよね。お金は必要、絵描きとしての道は必要ない。サッパリした性格の彼女は姉妹で最も現実主義で、最も結果に拘っています。

三女のベスは、本作で1番重要な立ち位置。彼女は姉達とは異なり、自分には将来、即ち努力や成長の先にある”結果”が無いことを知っている。どれだけ努力しても、なりたい自分にはなれないと知っている彼女にとっての”幸せな未来”は、唯一不定形なものなんです。結果を目指せない彼女が見出す”幸せ”こそ、本作の重要なメッセージになっていく。

 

 

 

結果と過程

メグの結婚願望、ジョーの作家志望、エイミーの現実主義。これらは全て”結果”なんです。好きな人と出会って結婚し子供を授かる。作家として成功する。お金持ちの幼馴染と結ばれる。彼女達が目指した幸せのその先には結婚生活の苦しみ、作家性と商業主義の対立、姉との確執…と幸せばかりとはいかない。そんな苦しい未来と、楽しかった四姉妹で暮らした日々を本作は交互に見せていく。”結果”とそこに至る”過程”を同時に見せることで、どちらが本当の幸せなのかが如実に見えてくる作りになっているんです。

結果に死が待っているベスだけが、この映画でそれに気づいているんですよね。結果よりも日々の過程にこそ幸せを見出す。ベスがいなくなったリビングを写し出したあのシーンで観客はそう気づかされる。彼女の生きた日々、これこそ”幸せの形”なんです。

 

 

 

 

オチは”ない”

そしてその幸せの形へとこの映画は収束していきます。「若草物語」の出版により出版社に呼ばれたジョー。そこで報酬について議論する中で、女主人公なんだからラストは結婚させろと言われるんです。それにジョーは、そうする代わりにパーセンテージの引き上げを要求する。

結局、ジョーは結婚したのかしていないのかは明確には明かされないんですよね。そう、この映画にオチは”ない”んです。”結果”はないんです。作家を夢見て突き進み、理想の男性に出会い、その後どうなったのかはわからない。でも紆余曲折あった彼女の人生はあまりに”幸せ”に溢れています。何になったって良いし、何をしたって良いし、何をしなくたって良いんです。”過程”を楽しめたなら。

 

 

 

最後に

女性のためなんて概念を超えて、今を生きる全ての人達に響く”幸せ”を巡る物語として昇華した現代版「若草物語」。

是非映画館でご覧ください!

「囚われた国家」感想 エイリアンによる侵略から9年。自由の国アメリカは、統治されていた。

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コロナ対策

お久しぶりです。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

緊急事態宣言が解除され、まだまだ油断はできない状況ですが映画館も少しずつ開館してきましたね。ここでは記録という意味合いも兼ね、数ヶ月ぶりに訪れた映画館(イオンシネマ)の感染症対策について書きたいと思います。今映画館に行くことに不安を感じる方も、参考として一読いただけると幸いです。

まず入り口。イオン自体は誰でも入場できるんですが、イオンシネマのある階層は体温チェックをクリアした人しか入れなくなっていました。

そしてチケット売り場。ここでは発券機が1台おきに使用不可になっており、発券時も距離を取れるようになっておりました。

次に売店ではビニールカーテンがかけられており、フードメニューを注文した方で希望する方にはビニール手袋をいただけるみたいです。

トイレでも1つおきに使用不可になっておりました。

最後にシアター内は上下左右に座らないようになっていました。また、マスクを着用していないとシアターには入れないみたいです。

 

これらの対策はされていても、最後の対策は自己判断です。その判断材料になればと思います。

 

 

 

 

 あらすじ

地球規模での戦争で、地球側が敗北した。停戦協定を結ぶため宇宙人と対話しようとする政府がニュースを埋め尽くすある日、ドラモンド一家は街を抜け出し、反旗を翻す一派に加わろうと車を走らせていた。

街を出るトンネルに差し掛かったところ、その先に”奴ら”が姿を表す。奴らの攻撃で一瞬のうちに両親は塵となったが、ガブリエルとその兄はなんとか生き残る。

9年後、大人になったガブリエルは、反乱分子に加わろうと躍起になっていたが、兄が爆破テロを企てたことで政府から目をつけられることに。政府の目を掻い潜り、ガブリエルは反旗を翻すことが出来るのか……。

 

予告https://www.youtube.com/watch?v=dpreSUTTG-k

 

 

 

 

 

 

征服から9年後

偉大な国、アメリカの陥落。そしてそこから9年が経った2027年が舞台な本作。まず、この2027年の世界観がとても良いんです。「マッドマックス」のように荒廃してしまった訳でもなく、電気系統の遮断で人類の文明が後退してしまった訳でもなく、「レッドドーン」のような戦争になる訳でもなく、ただいつもの日常が統治された世界。当たり前のように朝起きて、出勤して、家に帰るその頭上には小型偵察機が無数に飛んでいる世界。これが何とも不気味何ですよね。日常的な風景に、1つ理解不能なモノが置かれている違和感が、この映画の全体を占めている。

キービジュアルやポスターにも使われている海岸に並ぶ謎のロボット(?)だったり統治者が乗る岩のような乗り物だったり、はたまた主人公ガブリエル君の職業がカメラやPCのメモリーを統治者に転送する仕事だったりのような細かい設定まで、ちょっとの違和感に溢れていて、その気持ち悪さが気持ち良いんです……。

囚われた国家 : 映画評論・批評 - 映画.com

 

 

 

 

敗戦国アメリ

地球がエイリアンに支配される映画ですが、本編ではほとんどエイリアンとは戦いません。人間同士で争い合います。エイリアンの支配を受け入れた従属者たちと、それに反抗する反逆者たち。エイリアンの支配により就業率は上がり、犯罪率は低下したがその一方で、貧富の差はより開いてしまっている。つまりこの構図はそっくりそのまま、今の世界情勢における貧富の差の問題に直結しているんです。エイリアンに従う者には(制限された)権力が与えられ、逆らう者には一切の救いを用意しない。

エイリアンに支配されたにも関わらず、「インデペンデンスデイ」のように人類全員が立ち上がるどころか、反乱分子を制圧したり、エイリアンを賞賛してしまう。権力を持つために、そして自分たちの尊厳を失わないためにエイリアンに協力し続ける人類、そして偉大な国アメリカ合衆国が滑稽に見えてくるんです。敗戦国となったアメリカが、それでもなお自分たちの尊厳を強調する様を特に描いているのが、中盤のスタジアムでの「リパブリック讃歌」のシーン。統治者であるエイリアンを歓迎するためにアメリカの愛国歌が歌われ、観客は帽子を脱ぎ目を閉じ、祈りを捧げる。北軍の行進曲だったこの曲が、もはや”統治してくれてありがとう”という意味合いにさえ変わってしまう。そしてそれを賞賛する市民たちがあまりに滑稽なこのシーンは、自由の国アメリカの今と擦り合わせて見てみると本当に面白いですよね。まさに”今見るべき”映画になってしまっている。

ハレルヤを歌う女性の頭上からエイリアンが遂に降り立つ/映画『囚われ ...

 

 

 

 

 

 

※ネタバレ注意! 

青春をもう一度

そんな小難しいテーマに見える本作。だけどその実は、ガブリエルの両親をはじめとしたかつての同級生たちの結束の物語なんです。この映画は、エイリアンに反抗するSF映画だと思っていたら実は青春よ再び映画だった。過去も目的も明かされずに登場して来たあらゆる人物たちが、青春という一繋ぎの関係に収束していく。この見事さ、そして彼らが旧友たちと交わした日々を想像させるラストは、まさかSF映画で涙ぐむとは思ってもいませんでした。

社会人になって、コロナウイルスのせいもあって、なかなか会えなくなってしまった友人たちと、10年後20年後に再会するその日に想いを馳せるような、まさに青春映画でした。

ラストショットも、あそこで終わるからこそこのテーマが強調されて素敵でしたね…。

 

 

 

 

最後に

かなり画面が暗い映画なので、家で見るより断然映画館で、それも今観るべき映画作品でした。是非映画館でご覧ください!

 

「テルアビブ・オン・ファイア」感想 制作はパレスチナ、脚本はイスラエル!?雪だるま式に笑いが倍増していく、新感覚中東コメディ!!

「テルアビブ・オン・ファイア」

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なんてことない1つのメロドラマが、人種間、国同士の問題を如実に表していくことに!!

二転三転する皮肉たっぷりな、雪だるま式コメディ映画!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ややこしいよパレスチナ問題

中東の問題って、学のない私にとっては複雑に絡み合いすぎてもうややこしすぎるんです。パレスチナイスラエルの問題に限っても、アラブとユダヤエルサレム隔離壁など単語が多すぎて、もうこんがらがっちゃって…。

正直この映画はこれらの、特にパレスチナ問題については知っていないと楽しめないと思う。と言っても、時代的背景を全部知っておく必要はなく、パレスチナイスラエルでは宗教観も考え方も違うんだなぁ…ぐらいのイメージで大丈夫。

逆に、それさえ知っていればこの映画は絶対面白い!

 

 

 

 

 

連続ドラマ

そんなパレスチナで製作されている連続メロドラマこそ、「テルアビブ・オン・ファイア」。まず、このドラマが良い感じに安い昼ドラ感を醸し出していて最高なんですよ。タイトルがイスラエルでの戦火と恋の炎というしょうもないダブルミーニングになっていることや、本作のオープニングにもなっている炎バックにアップでキャストたちを紹介するというなんとも安いドラマ「テルアビブオンファイア」のOPだったり、すぐ恋に発展するしょうもない展開だったりと、このドラマ、めちゃくちゃ安いんですよね。オチは決めてるらしいけど、それさえもハリウッドのパクリという志の低さ。急展開を重ねて、なんとか視聴率を稼いでうまくいけばシーズン2なんかも作りたいという、もう作品性なんて一切無視のドラマこそ「テルアビブ・オン・ファイア」。

 

 

 

サラームの才能

 そんな連ドラの脚本を任されるサラーム。彼は正直、脚本を書く才能なんてないんですよね。あるのはフムスを作る才能ぐらい。

しかし彼には、そんな料理の才能以外に物凄い才能がある。それは、”人から頼まれる”才能。彼はいろんな人の頼みを、出来る出来ない関係なくすぐに安請け負いしちゃう。だけど、そんな彼だからこそ人はモノを頼んでくれる。適当そうに見えるし、多分彼も半ば適当なんだろうけど、気軽に人の頼みを聞けるのは、脚本を書く上では文才並みに、いやもしかしたら文才以上に必要な才能なのかもしれない。なんたって、書いているのは小説や漫画のような作品ではなく、脚本なんだから。 

 

 

職人監督、あんたら凄いよ!

ドラマや映画の脚本を作るのってとんでもなく難しいと思う。というのも私は高校時代、文化祭で劇の脚本を書いたんですが、これが本当に難しかった。1から任されたから本質的な部分は自分の意向を盛り込めたけど、そこに付随するあらゆる要素が、例えばクラスの人気者は出そうだったり、クラスの可愛いあの子にはもっといい役をだったり、そんなのやりたくないと愚痴る人のシーンを減らしたり.....プロって訳でもないからみんな言いたい放題だったんですよね。この、ぐちゃぐちゃになっていく脚本をどうやって全員が満足しつつわかりやすくするのか、で僕はとっても苦労したんですw

 本作の「テルアビブオンファイア」でも、監督やプロデューサー、スポンサーに役者、さらには衣装係や大道具……そしてもちろん視聴者も。数えだしたらキリがないぐらい多くの人々が関わるのが映像作品で、一人では出来ないからこそ、十人十色の作品への熱意が出来てくる。そんなバラバラな情熱を一手に任される人こそ、脚本なんですよね。売りたい役者にいい場面を、センシティブな内容はしないように、スポンサーが喜ぶように、シーズンが続くように.......そして視聴者が喜ぶようなモノを作り出さないといけないのが脚本。

そんな脚本作りにおいて必要な能力の1つが、求められた物をしっかり形にする能力。職人監督的に、スポンサーやら事務所の言う通りに作りました感満載の映画、作品としての質を無視した映画が溢れる昨今。だけど、そんな映画作品1つ1つに、脚本家と作り手たちの攻防があったのかなぁ....と思うと、なんだか肯定的に見れそうな気がしてくるかも...?w

 

要求された物を作る、それは一見簡単そうなんだけど、それが如何に難しいかをこの映画はコメディタッチに教えてくれる。ユダヤ人とアラブ人に結婚をさせろ!いや、そんなことありえない!の攻防を繰り返すことで、ドラマは二転三転していってしまう。この、雪だるま式にどんどんめちゃくちゃになっていくのも最高に面白いし、それにどう落とし前をつけるのかと言う超難題に、全員が満足する答えを出すために奔走するサラームは最高にカッコよく見えました。職人監督、あんたらすげぇよ!!

 

 

 

 

ユダヤとアラブの皮肉

でも実際、ユダヤとアラブの結婚って今でも有りえない。たとえドラマの中のお話でさえ叶わない、やっちゃいけないと言うのは、今の中東問題を如実に表していると思う。コメディタッチに面白おかしく人種間のやりとりを描いてはいるけど、国同士や人種同士での齟齬が、こんなにも生活に根付いてしまっているのが今の中東。国や考え方がぐちゃぐちゃに入り乱れてしまったから、こんな昼ドラみたいな世界観でさえユダヤとアラブの禁断の愛も許されない。

この映画を、真に笑って見られるような世の中に、中東になることを願いたくなる作品でした。

 

 

 

 

最後に

今回は短めですが、複雑に入り乱れたパレスチナ問題をここまで面白く逆手にとって楽しめる作品は唯一無二だと思います。是非映画館で、手を叩いて笑ってください!!

 

 

「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」感想 どんな嘘つきをも騙す、究極の”騙し方”とは!?

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豪華絢爛なキャストにセット。

優雅で上品な世界観に、下劣で性格の悪いコメディが加わることで起きる化学反応は、今まで見たことがない反応を引き起こしていく。

 

ジェットコースターのように面白い、痛快名探偵映画!!

 

 

 

 

 

 


豪華で優雅な探偵モノ

ダニエル・クレイグ演じる名探偵ブノワ・ブラン。脇を固める名優たち。そしてとんでもない豪邸に、超豪華な内装、衣装…。そしてこれらを聞いてまず浮かぶのが「オリエント急行殺人事件」でありアガサクリスティーですが、この映画はまず豪華で優雅な探偵モノとして面白い。スーツを着て紳士的に振る舞う探偵。そんな探偵に振り回される警察。人が死んでるのに優雅に過ごす怪しい貴族。そして悲劇のヒロイン。この、ベタとも言える名探偵モノのお約束を、この映画はじっくり楽しませてくれる。さらに本作は、そんな豪華な見た目に反して例えるなら「ナイスガイズ!」のような、性格の悪いギャグセンスからなるコメディ演出が加わっている。この、一見真逆とも思える2つの融合が、見たことあるのに見たことない最高に楽しい探偵モノを誕生させている。

 

 

 

 

 

ミステリー?サスペンス?スリラー?

事件の真相を追いかけるため、当然この映画はミステリー映画の定石通り容疑者たちの事情聴取を始める。登場人物たちの小さな嘘が出始め、少しずつミステリーとして前に進み出した矢先、今作のヒロインであるマルタの回想により犯人が明らかになったことで、この映画はガラッとジャンルが変わってしまう。さらにここで観客の誰もが、ここからはミステリーではなくサスペンスとしてこの映画を楽しむんだと思い込まされる。しかしこの映画は、ミステリーでもサスペンスでもない方向に進んでいく。
中盤から本作は、マルタが如何に犯人と気付かれないか、というスリラーに変わっていく。というより、嘘がつけないマルタがハーランの善意を無駄にしないために、探偵ブランの監視下で足跡だったりビデオテープだったり木片だったり…という証拠をどうやって隠すのか…というスリラーコメディへと本作は変身する。
このジャンル変身が本当に見事で、この映画はミステリーの弱点をジャンルを変えることで上手く隠している。ミステリーは、起こった事件についての謎を追いかける面白さがある反面、過去を振り返るからどうしても数人の容疑者たちの話をたくさん聞くことになる。今作で言えば、冒頭の長女リンダの会社経営の話に長女の夫リチャードの浮気話にその息子ランサムと家族との確執の話、長男の妻ジョニの金の話にその娘メグとマルタの話、次男ウォルトの出版に関する話にヒステリックに怒る妻ドナにその息子ジェイコブの思春期話……もうね、書くだけで疲れるぐらい情報量が多くなってしまう。そこに、キャラクターの名前と家族構成を理解する作業まで加わるから、ミステリーはどうしても“話を聞く”パートが長くなりがち。大体のミステリーは、キャラに愛着もない冒頭からこの過剰な情報量を観客に与えてしまい、さらにその情報の真偽を問うためにさらに会話が続いていく…。ミステリーは、2時間という尺できっちり納めるのには向いているジャンルだけど、絵を映すという映画特有の性質とは不向きなんです。小説みたいにページを戻ったりもできないし。しかし本作は、そのミステリーの弱点を逆手にとっている。冒頭から過剰な情報を観客に詰め込んだ後で、この映画はズバっとその情報を捏ねくり回すことを放棄してしまう。“情報から推理する“というプロセス自体を放り投げることで、観客は過剰な情報を摂取しなくて済むようになる。

 

 

 

 

 


ドーナツの穴

じゃあこの映画は単純にスリラー映画なのか。いいえ、この映画はしっかり探偵モノでありミステリーなんです。
冒頭から探偵ブランを軸に推理をしている視点から中盤でマルタが犯人とバレないようにする視点に移行した本作は、後半から再び探偵ブランによる推理視点に戻ってくる。スリラーとして少しずつ提供されていた情報を使って、ブランが真犯人を突き詰めていく。この映画は、ジャンルを切り替えることで視点を上手く引き離して、マルタ視点で見たら疑わしくないのに、いざブラン視点に戻ってみると穴があるように見えてくる。見る角度を変えることで別のことが見えてくるという、まさに名探偵の推理のような見方を観客に浴びせることで、まるで自分が名探偵として推理しているような快感を観客に味あわせてくれる。

 

 

 

 

 


究極の善意

この映画で名探偵ブラン並みに、もしかするとそれ以上に輝いていたのがヒロインのマルタ。彼女は故意ではない出来事で犯人になってしまうけど、性質上“嘘をつかない”し、自分の立場を顧みずに人を助ける。そんな、とびきりの善意が彼女の魅力であり武器にもなっている。
本作に登場する容疑者たちは、誰も彼も嘘ばっかり。それは浮気だったり、遺産だったり、はたまた彼女に罪を被せるためだったり…と様々ですが、その嘘つきたちは最後には騙されてしまう。
究極の善意は、嘘よりも人を騙す。
善意の塊のような彼女が、善意によって嘘つきたちに勝つからこそ、鑑賞中も鑑賞後も本当に心地良い映画体験になっている。

 

 

 

 


お世話してあげてたのに!

そんな本作の真のテーマは、アメリカ合衆国と移民。
わかりやすく移民問題を話すシーンもあったりとかなり露骨なんですけど、映画を見ていくと段々、この刃の館こそがアメリカ合衆国なんだと気づく。刃の館にやってきた余所者のマルタに何度も“お世話してあげている”と上から目線で物言うスロンビー家の人々。でもそういうスロンビー家の人々は父親(orおじいちゃん)にお金や才能を集るだけの奴らだし、一方でマルタは人間らしく献身的に努力し続けていた。どちらが本当に館のためになっているのかを考えると一目瞭然。そもそも館自体、他人から買ったものだし…。

この映画は、アメリカ合衆国という大きな館の次世代を、誰が担うべきかを教えてくれる。

 

 

 

 

 


--『映画といきもの』--俳優シェパード

スロンビー家には、2匹のシェパードがいました。この2匹は最後の謎解きにも重要な役割を持っていましたが、シェパードがアカデミー主演男優賞を取るかもしれなかったことはご存知でしょうか。
1921年に、ストロングハートというシェパードが映画デビューを果たしました。ストロングハートはとんでもない人気となり、映画の俳優犬というものの地位を一気に押し上げました。そんな中、ストロングハートの後継を狙うリンチンチンが1923年にデビューしました。リンチンチンはそれから約9年、映画作品だけで30作に登場する超人気俳優犬になり、アメリカ国内でのシェパードブームに火をつけ、経営難だったワーナーブラザーズを立て直した立役者にもなりました。そんなブーム真っ只中の1929年、最初のアカデミー賞における主演男優賞で最も投票された俳優だった、という噂があります。賞自体はドイツの(人間の)俳優エミールヤニングスが取りましたが、この噂については投票のやり直しがあったなど様々なものがあります。
それから時を超え、第92回を迎えるアカデミー賞。近年でもアギーという犬がノミネートを騒がれましたが、未だに犬が俳優賞を取ったことはありません。白人至上主義が騒がれ、皮肉られる昨今。犬が、ついに俳優賞を受賞する日も近いかも…!?

 

 

 

 

 

最後に

この映画、冒頭にも上げましたが「ナイスガイズ!」みたいに、もっともっと探偵ブランの活躍が見たくなる作品でした。ぜひ色んな事件に遭遇するブランを見せてくださいライアンジョンソン!!頼んだ!!
是非映画館で、ジェットコースターのようにジャンルが変わる本作を楽しんでください!パンフもおしゃれで内容も濃いのでオススメ!

 

「リチャード・ジュエル」感想 偏見なんてしてない。そう信じる人こそ、偏見を持っていることにさえ気づかない。

「リチャード・ジュエル」(字幕)

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爆弾を発見し、人々の命を救った英雄。

しかし真実は捻じ曲げられ、彼は避難の的に。

 

1人の男の小さな勇気を、なぜ世論は批判したのか。人間だからこそ起こってしまった、最悪の英雄譚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1人の男の小さな勇気

法執行官に憧れるリチャードは、警備業務中に不審な荷物を見つける。彼は荷物について報告し、中身が爆弾だったとわかると避難誘導にも尽力した。そんな彼の、小さな勇気が讃えられ、新聞各社は彼を”英雄”と呼ぶように。街ですれ違うと道すがら賞賛されるようになるほど有名人になったリチャード。彼の勇気で、何百という人の命が救われたのです。

しかし、そんな英雄に物申したのが、FBI。そしてそれは流出し新聞の記事になってしまうと、一転して彼は犯罪者として世の中から見られることになってしまう。

扇動的に世論を動かしてしまったばかりに、もう新聞各社もFBIも引っ込みが効かなくなってくる。もう証拠が有る無いとか、そもそもリチャードがやったのかやってないのかの真実なんてどうでも良く、リチャードの外見や生い立ちという表面的な部分から犯人にまくし立てていく。

 

 

 

法執行官に敬意を

FBIのめちゃくちゃな捜査により、部屋のあらゆる物が押収され、不当な捜査を強要されるように。パニックになる母親、怒る弁護士ワトソン。しかし当のリチャードは、あろうことか捜査に協力的だったり、荷物を運ぶのを手伝ったりしてしまう。ベラベラ要らないことまで話すし、音声証拠まで提供してしまう。

このリチャードの行動に、正直応援していた気持ちが離れていくんですよね。ワトソンたちと同じように、こっちはお前を守ろうとしてるのになんで相手に協力してるの?って。でもよくよく考えると、リチャードの行動って凄く人間的だと思うんです。もし街で、警察官に呼び止められて、捜査に協力してほしいとか言われたりしたら、あなたはどうしますか?大抵の人は、快く警察官の質問に答えると思う。笑顔でしっかりと応答すること、敬意を払うことで”自分は普通の人です”とアピールしてるんです。リチャードも、自分にとっての正義、信念を貫くための目標だった彼らに対して敬意をはらい、協力することで”自分もまた法に準ずる立場なんだ”とアピールしている。彼は自分が犯人じゃ無いという自信が有るからこそ、それをアピールするために彼らに協力している。

 

 

  

偏見

FBIになぜ敬意を払うのか、怒ってないのか?という質問に対する彼の激白を聞いて、ワトソンも観客もハッとさせられる。正直、こいつバカなんじゃないの?とさえ思っていた僕達こそ、彼を表面的にしか見ていない、偏見を持っていたんだと気づかされる。世論がリチャードを外見やら生い立ちだけで犯人に仕立て上げるのを見て憤慨していた僕らでさえ、情報を制限され、1つの側面からしかリチャードを見ていなかったら小馬鹿にしていたじゃないか。

この映画は、まさに偏った見方をしてしまう、偏見ができる過程を映画内でやってのけている。

 

 

 

 

正義を貫く者

そんな偏見と戦い、リチャードは遂に”あの事件で自分が死んでいればよかったのに”と夢に見るまで追い込まれていく。しかし彼は、それでもなおワトソンと共に戦い続けた。

そして最後に、リチャードはFBIに物申す。彼がなぜ、ここまで戦ってきたのかを。彼のように、小さな勇気を振り絞って人々を守ろうとする人が現れた時、”リチャードの二の舞になるからやめよう”と思わさせないように、小さな勇気をこそ守るために、リチャードは戦っていた。正義を貫くために、リチャードは自分が信じてきた法執行官と戦ってきた。そしてそんな、小さな勇気を振り絞った人々こそリチャードであり、ワトソンであり、友人であり、母親。彼を守ろうとした数少ない人々を守るためにリチャードは戦っていた。

正義を貫くことに一直線に突き進む彼の姿を、捻じ曲げて伝えてしまったメディア。そしてそれに加担してしまったFBI。この2つが本当にするべきことは、人々の小さな勇気を奮い立たせることだった。人々から、信頼、正義を託されているからこそ、もう二度とこのような過ちを繰り返して欲しくない、と痛烈に感じる作品でした。

 

 

 

 

 

 

--『映画といきもの』--英雄ネズミ

本作では、第一発見者であるリチャード・ジュエルが”英雄”から”犯人”に仕立て上げられてしまった。

同じくアフリカに、”英雄”と呼ばれるネズミがいる。その名前はアフリカオニネズミ。アフリカには複数の地雷原が存在している。このネズミは、そんな地雷のTNT火薬の匂いを嗅ぎ分けることができ、さらに体重が軽いので地雷が感知せず、そしてアフリカにある資源で育てることができる天然の地雷発見機として活躍している。さらにさらにこのネズミは、人の唾液から結核菌を検出することも出来、アフリカでは多くの人の命を救った”英雄”とされている。

同じく人々の命を救った”英雄”なのに、人間であるから故にあらぬ疑惑を突きつけられ、どん底まで落とされてしまったリチャード。人間はもっと単純に、純粋に、彼の英雄的行動を讃え、真実をこそ伝えられるように、そして真実を見分けられるようになっていかなくてはいけない。思慮深く考えることこそ、人間に与えられた進化なんですから。

 

 

 

最後に

リチャード視点での感想になってしまいましたが、新聞記者が自分のやってしまったことに気づく視点など、あらゆる視点を通して”正義”を見ることができるのも本作の魅力でした。

是非映画館で、1人の男の小さな勇気を刮目して見てください。

「キャッツ」感想 ”素晴らしい、全て間違っている。”

「キャッツ」(2D字幕THX)ãã­ã£ãããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ"

 

ビジュアルなんてもう気にならない。
それほど圧倒的な、まさに“映画体験”でした。

この映画には、常人の倫理観は通用しない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫人間

公開前の海外での評価が凄まじかった本作。あの評価自体は、ちょっと言い過ぎというか加熱してしまっていた部分もあると思うんです。だけど、やっぱり本作のビジュアルは怖い。というか不気味。
顔のパーツ、姿勢は人間なのに、サイズ感、耳、そして仕草は猫。この組み合わせが、絶望的に合っていない。なぜなら、本作はこの猫×人間というコンセプトをそもそも作り手が信じられてないからだと思う。作り手が、人間でも猫にも見えるような、細部にまで拘ったグラフィックづくりを否定して、“舞台キャッツの映画化だから許してくれるでしょ”と言わんばかりに猫×人間を作ることを放棄している。舞台なら目の前で実在する人間が猫の格好をしているからそもそも実在感を発揮できているんです。だけどそれを映像として映し出すなら、どうしても実在感を出すための工夫が必要。それは例えば、毛並みを動かしたり、眉毛を隠したり…。そんな工夫もしないで、人間に服も着せないで踊らせるから、ビジュアルがなんだか“見ていいのか悪いのかわからない”気持ちになっちゃうんですよね。特に、テイラースウィフト演じるボンバルリーナが踊るシーンは、やらしいと思っちゃいけないんだろうけどどうしてもやらしく見えちゃう。まるで中学生の頃に通販雑誌の下着のページを見てドギマギした頃のあの気持ちに、この映画はなってしまうんです。誰がそんなの楽しく見れるんだよ!!
この映画に対するビジュアルの批判は、あらゆる工夫を怠ったために起こった、必然的な批判だったと思う。

 

 

 

 


歌って!踊って!

でもそんなビジュアルは、次第に慣れてくる(麻痺)んです。そこからは、現行のハリウッド映画の中でもかなり質の高い歌唱力を遺憾無く発揮してくれる。特に、超有名な「Memory」や「Skinbleshanks:The railway cat」などの歌唱力は圧巻で、これはTHXという超音質の良い映画館で見て正解でした。
一方で、踊りはかなり杜撰に感じてしまった。それは、踊りが下手だからとかではなく、なんとも踊りの写し方が変なんですよね。集まった猫みんなが踊ってるシーンなのにドアップでその曲の主役しか映さなかったり、カットを過剰に割るから踊りがひとつなぎに見えなかったり。極め付けは上記した「Skinbleshanks:The railway cat」での橋の上で踊るシーン。ドアップでスキンブルシャンクスを映していたと思ったら、突如かなり遠い位置から踊る彼らを映したりする。これがとんでもなく間抜けに見えて、曲は良いのにがっかりしてしまいました…。

 

 

 

 


崩壊する倫理観

歌と踊りメインである本作ですが、ビジュアルとか絵面とかそういうのの前に、そもそも本作内でのルール、倫理観がぶっ壊れているのも気になったんですよね。序盤、レベルウィルソン演じる肥満猫が歌う「Jellicle songs for jellicle cats」のシーンでは、彼女が指導した(?)ネズミとゴキブリたちが踊り出す。このビジュアルだけで言いたいことがないこともないですが、彼女の指示通りに踊るゴキブリたちを、まさか猫たちは食べるんですよ。しかも歌にのせてヒョイヒョイ摘んでいく。
…………え“!?

他にも、この映画の主軸でもある天上に行くための舞踏会の設定も、冒頭から「天上界に行けば生まれ変われるんだ!天上は空のうんと上にあるのさ!」とかいうから、天上界=死をどうしても連想しちゃうんですよ。でも同時に、ああこの設定が後半でひっくり返るのね、と前フリのようにも感じるんです。
ですがこの設定、まさかの全て“マジ”なんです。しかも、悪い奴と連むようになって嫌われ者になったグリザベラが選ばれる。「さぁ、嫌われ者だった自分を捨てて生まれ変わっておいで!」とみんなで歓迎するシーンは、いじめっ子がいじめていたことをすっかり忘れて、いじめられっ子に同窓会で話しかけてくるような、エグいエゴを感じたのは私だけでしょうか…。この映画、そもそもの倫理観がやばい。

 

 

 

 

意味不明なら4つのラスト

そんな、有って無いようなストーリーの歪さもさることながら、この映画で1番酷いのはラスト。4つものシークエンス全てが悉く「??」となってしまう。
1つ目は、上記したグリザベラ万歳!のシーン。
2つ目は、マキャヴィティに囚われていた組の脱出シーン。あの、とんでもない蛇足感はなんなんだ。
3つ目は、誘拐された長老ディトロノミーを助けに行くシーン。魔法のように瞬間移動するマキャヴィティを追いかけるために、なんと猫たちはドジっ子手品師ミストフェリーズに魔法を使うように強要する。「試してみて!」と目をキラキラさせてお願いする主人公も怖いけど、それを応援する猫全員がもはや狂気のように見えてくる。どれだけ頑張っても魔法は(当然)使えないミストフェリーズ。そんな彼を見て猫たちがとる行動は、なんともっと応援する!!さぁ、お前はすごいんだ!!やってやれよ!!!と、集団圧力的にグイグイ強要される恐怖。あんな集団の仲間にはなりたくないよw
最後に4つ目、これは本当にラスト。長老ディトロノミーが、なんと第四の壁を超えてこちらに話しかけてくるんですよ。色々説明してますが、要するに「猫大事にしてね!」ってことなんだけど、ここでもう頭はパンク状態に。こっちの存在を知った上で、少なくとも長老は歌ったりしてたの!?とか、こっちの存在があるってことは俺たちが知ってる猫とこの猫の完全な隔離はなんなんだ!!とか、どんどん疑問が湧いてきてしまう。
でもそんなの関係ない!猫を大事に!犬はどうでもいい!!それがこの映画なんです!多分!

 

 

 

 


--『映画といきもの』--猫と生態系

猫は、古来より愛玩目的、狩り目的などで愛されてきた。しかし、そんなイエネコたちは実は生態系を揺るがす動物たちなんです。
国際自然保護連合(IUCN)が指定した世界の侵略的外来種ワースト100に選ばれている他、日本生態学会あ指定した日本の侵略的外来種ワースト100にはノネコの他にもネコ目が5種もランクインしているほど。ではなぜ、あんなにも小さくて可愛い猫が生態系を揺るがすのか。
イエネコは、小さくてもネコなんです。ライオンやトラなんかと同様に肉食動物である彼らは、離島などの小さな生態系内では頂点に君臨することもある。生態系の頂点が、外から来た生物になってしまうとどうなるのか。飛ぶことのできない鳥や虫、さらにはヘビやネズミなど猫の狩猟対象は多岐にわたる。これら全ての固有種が、愛玩用に連れてこられた猫により狩られる者になってしまう。小さな生態系において、イエネコは恐ろしい力を持った脅威だったのです。猫をペットとして可愛がるにしても、むやみに外に出したり、それこそ本作のように捨ててしまうなんて以ての外。猫を飼うことの責任感として“猫を大切にしよう“という気持ちと同じように”生態系を守ろう“という気持ちも持って欲しい、と私は思います。

 

 

 


最後に

本作では、猫は自由に暮らしたいんだから猫をぬいぐるみみたいに扱うんじゃなくて1匹の生き物として扱って!みたいなメッセージが最後に込められていました。それは本当に大切なことだけど、ネコを飼うということの本当の責任を、より多くの人にわかって欲しいとも感じる映画でした。自由が好きなネコだからこそ、自由にさせ過ぎるのは良くない。この映画を見て、イエネコを捨てる人は少なくなると思います。だけど、イエネコはちゃんと管理してあげてください。それが、猫のためでもあり、生態系のためでもあるんです。
ぜひ映画館で鑑賞して、そのあとにはしっかり猫について調べて見てくださいね。