ファルケンなうのスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスな映画ブログ(ネタバレあり)

ファルケンなうの趣味の部屋。殴り書きをコンセプトに、主に映画館に観に行った映画作品の感想をダイレクトに投稿しています。少しでも気になった方は、Twitterのフォローもよろしくお願い致します。@FALKEN_now       ※ネタバレありがほとんどです。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」感想。すべての差別主義者へ。”敬意を払え。”

「プロミシング・ヤング・ウーマン」

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皆さん、お久しぶりです。

化石状態となっていた本ブログですが、数か月ぶりに更新する運びとなりました。これからも不定期な更新ではありますが、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性に敬意を払え

監督は女優でもあるエメラルド・フェネル、主演キャリーマリガン、マーゴットロビーがプロデューサーを務めたという女性を芯に添えて作られた本作。

 

彼女たち自身の体験をも反映されたこの作品で描かれるのは、現代を生きる女性の目に映る現実。男の発言、しぐさ、行動、そして下心。敬意がなく無自覚なそれらの事柄をこれでもかと観客にぶつけてくる。ポップな見た目とは裏腹に、リアリティとスリリングさを兼ね備えた棘のある演出が巧みに展開されていくことでこの映画は、私たち観客へ”敬意を払え”と警告してくる。

 

 

私自身、女性として生きたこともなければ、女性の感情を読み取る能力すら持ち合わせてはいない。そんな男たちには当然理解はできないだろう、だが敬意ぐらいは払えるだろう?と、世の男性たちに問いかけてくるんですよね。等身大の女性の復讐劇が、私たち男に棘を突き刺す劇薬のような映画なんです。

 

 

 

 

 

 

 

差別と復讐

しかし本作は、男性だけに棘を向ける作品にとどまらない。劇中で主人公キャシーが行う復讐は、一見するとポップにすら見えるんです。なぜ、女性がリベンジするお話を表層的にはポップに描く必要があるのか。そこにこそ、本作が持つ最大の意義があると私は思います。

 

 

キャシーは、学生時代のリベンジをするために1人ずつ事件の関係者を訪ねてはあらゆる手を使って”社会的制裁”を加える。もちろんこのメンツには危害を加えた男共も含まれていますが、それを容認した、または見て見ぬふりをした女性たちも含まれています。”男女関係なく”この事件に関わった人々に落とし前をつけていく。このシーンがポップで爽快なんですが、それとは真逆にどこかドライなものを孕んでいるんですよね。さらに復讐を続けるキャシーに対し、当事者の親からもう辞めるように促されたりもする。

 

これは、まるで自警団として街のおっさんが立ち上がるジェームズガン監督作「スーパー!」のような、正義・復讐という建前のうえで行われるあらゆる制裁に、共感しつつもどこか引いてしまうという感情を引き出させてくる。ポップな装いをすることで本作は観客に爽快感を提示しつつ、時に観客を突き放すような演出をあえていれてくる。

 

 

 

女性が男性を打ち負かす制裁、しかし男性が暴力でそれすら封じてしまう残酷さ。そして自警団としての復讐の鋭利さ。このどうしようもない毒のような問題をあえて如実に表すことで、この映画を決して単なる「女性の復讐劇」で終わらせないようにしているんです。

復讐が行われた、結果はこうなった、さぁ後は現代を生きる男と女、君たちで考えてくれ。それこそが、男女の隔たり、差別の壁を打ち破る道なんだと示してくる。

 

 

 

 

最後に

私の文章力ではどうしても重い作品に思われてしまいそうな本作ですが、誰もが見やすく工夫の凝らされた疾走感のある脚本とスリリングな展開は誰もが楽しめると思います。ぜひ映画館で、彼女たちの怒りを浴びてください。

現在、一部の映画館で先行上映中。7月16日から全国公開!

 

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」感想 さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」

 

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はじめに

当ブログでは考察等はほぼありません。率直な感想であること、完全なネタバレをしていることをご留意ください。

 

 

 

 

 

あらすじ

ニアサードインパクトにより、赤く染まった世界。

最後の抵抗であるヴィレはパリに降り立ち、旧NERV支部の奪還を目指していた。無数の敵が彼らの作戦を阻止するべく立ちはだかるも、マリが操縦するエヴァ8号機の奮闘により奪還作戦は成功する。

一方その頃、シンジ、レイはアスカに連れられ赤く染まった街を放浪していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Qという絶望

本作の前作に当たる「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」は新劇場版シリーズでも異質な「なんなんだよもう…」を繰り返す作品であり、ラスト31分で起こる怒涛の攻防戦に熱くなる作品であり、何よりシリーズで最も”絶望”が似合う作品だったんじゃないでしょうか。自らの手で起こしたニアサードインパクト、救えてなかったレイ、そして変わってしまった仲間たち。そんなあまりの変貌ぶりに本作の公開前には、序や破とは異なる世界線の話なんじゃないかと言う考察さえ飛び交うほどでした。しかし本作は、しっかりとQのすぐ後からお話が始まり、腰を据えてQまでに何が起こっていたのかを探求する作品となっていました。

真っ赤に染まった世界でレジスタンス的に戦うヴィレの面々。冒頭でのパリでの戦闘シーンから始まり、当然といえば当然なのかもしれませんが本作は前作から8年、アニメシリーズから25年という歳月で進化した技術がこれでもかと投入されているのを感じられる圧巻の戦闘シーンが続きます。正直私は、アニメーション映画はIMAXサイズで鑑賞するよりも通常の映画館サイズの方が迫力を感じとりやすく思っていたんですよね。その理由がどこから来るものかは言葉にするのが難しく、伝わりづらいと思うのですが、ある程度抑制されたスケールだからこそアニメーションは光るんだと思っていた。しかしシンエヴァは違いました。IMAXサイズのスクリーンをこれでもかと使い切って描かれる世界観に、縦横無尽に動き回り敵とぶつかり合うエヴァンゲリオンやヴンダー。自宅のテレビよりも、通常の映画館よりも、IMAXでこそしっかり迫力ある映像を楽しめる。

 

 

 

 

成長を促すシンジ

Qという絶望の後、それでもなお続く終わりの見えない戦いが続く世界で、シンジ、アスカ、レイは第3村にたどり着きます。ここでエヴァシリーズではじめて、”人々の営み”が描かれます。そこではサードインパクトで傷ついた人々が手を取り合い懸命に生きてきた14年間を感じさせ、その経験から人々はシンジやレイにさえ優しく手を差し伸べる。シンジとレイ、アスカは人から優しくされる尊さ、仕事をする喜び、そして生きる理由をここでついに学ぶんです。そんな学びからシンジは、他人の肩を叩くことができる人間、人の成長を促すことができる人間についに成長する。

アニメシリーズでは考えられない成長を遂げたシンジは、「エヴァンゲリオン」という作品で同じく描かれ続けてきたアスカ、レイ、そしてカヲルを理解しそれぞれの成長を促し始める。ドラえもんでもクレヨンしんちゃんでも、キャラクターが成長仕切ってしまうことは物語の終わりを意味する。だからこそ、長く続く作品であればあるほどキャラクターは成長出来ない。ましてエヴァンゲリオンは、新劇というリセットをしてまでキャラクターの成長を止めてきた作品。そんな作品の主人公であるシンジが、旧劇も新劇も、白綾波も黒綾波も、惣流も敷波も、エヴァもヱヴァも関係なく包み込み、成長させていく。全てのキャラクターが成長した先に待ち受ける、ゲンドウという最後の”キャラクター”。

 

 

 

さようなら

ゲンドウは、このエヴァンゲリオンという物語において最も重要な人物である一方で、その心情はほとんど明かされないキャラクターでした。シンジとゲンドウがわかり合う時。その時こそ、エヴァンゲリオンは完膚なきまでに終わるのです。そしてラスト、シンジとゲンドウが対等の立場を持って対峙することに。ここでゲンドウは遂に、自らが生きてきた人生を語り始めるのですが、この生き様こそ庵野秀明なんです。シンジ=庵野秀明の投影であることは周知の事実でしたが、その父親であるゲンドウもまた、世間的な”大人”になった庵野秀明の投影だった。シンジ=ゲンドウであり、ゲンドウが目指すユイ=シンジだった。両者がそれに気づいた途端、アニメーションで描かれてきた「エヴァンゲリオン」という作品から一つ、また一つと要素が抜けていきます。まず質感が失われ、次に世界観が失われ、カラーが失われ、アニメーションが失われていく。ラスト、全てが分解され、実写とアニメーションが組み合わさったセカイにシンジたちは降り立ちます。シンジとマリ、ケンスケとアスカ、カヲルとレイというファンの想定をレーンから外れた彼らはもうエヴァンゲリオン」のキャラクターではなく、その列車から降りたただの人物であることが象徴され、「エヴァンゲリオン」というアニメーション作品は現実というセカイに溶けてしまう。

電車から降りたシンジたちは駅を飛び出し、カメラはどんどん上空に。このシーンはまるでタランティーノの「ワンスアポンアタイムインハリウッド(2019)」を彷彿とさせるようなシーンなんですよね。ワンハリも同じくどんどんカメラが上空に上がっていってエンディングを迎えるんですが、このシーンは映画だから出来る、映画でしか出来ないことを成し遂げて現実と映像が混ざり合った不思議な世界へと連れて行かれるような、映画という魔法が詰まったシーンになっていると思うんです。それを踏まえてこのシンエヴァのエンディングを見ると、まさに現実と映像、アニメーションが混ざり合うんです。アニメーションで描かれるシンジたちが駅を飛び出しカメラが俯瞰で離れていけばいくほど、現実とアニメーションの境目が曖昧になっていく。「エヴァンゲリオン」というアニメーションが、少しずつ少しずつ溶けていってしまう。

まさにこれこそ、”さようなら”以外の何者でもない大団円。

ありがとう、そしてさようなら。全てのエヴァンゲリオン

 

 

 

最後に

パンフレットは劇中の名シーンや出演陣から監督まで大ボリュームなインタビュー、絵コンテまで入った超豪華な内容でした。

エヴァンゲリオンという時代が終わる。をやってのけた庵野秀明やこの作品に関わった全ての人に”ありがとう”と”さようなら”を伝えたくなるような大傑作でした。

 

「ガンズ・アキンボ」感想 両手に縫い付けられた2丁拳銃から”楽しい"が撃ち込まれる大娯楽作!!!

「ガンズ・アキンボ」

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あらすじ

しがない会社員生活を送るマイルズの日課は、クソリプを送ることでストレスを発散すること。その日は最近話題の闇サイト「スキズム」にコメントを連投していたが、返信に自身のIPアドレスが届く。震え上がるマイルズの家に、明らかに招かれざる客が強引に押し入り、目が覚めると彼の両手には拳銃が縫い付けられていた…。

予告

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制作側の”楽しい”

2丁の拳銃が手に縫い付けられた男がデスゲームに放り込まれる。もうこの設定から、作っている側が楽しんで作っているのが伝わって来るとんでもない設定ですよね。監督がインタビューで「アクションシーンには全ての特殊技術、スタント、カメラが必要だった。観客が楽しめるよう、その手の本に載っている技術を全て採用して噛み砕いてスクリーンに映し出したんだ!」とあるように、ありったけをぶち込んで観客を楽しませてやろうと企む監督の気持ちがスクリーンから溢れ出ているような作品なんです。多彩なカメラワーク劇中の刺激的なガンアクションシーン満載なんですが、中でも放たれた弾丸を支点にカメラがその弾丸の軌道でグルグル回りながら敵の眉間めがけて進むシーンがあるんですが、そういうカメラワークが数珠繋ぎ的に繰り返されるので観客は脳への刺激を純粋に楽しめるようになっている。

監督が楽しんでいるという点では、YouTubeに自主的に投稿していた”こんなことしてみたいな”という妄想を描いたアクション絵コンテが映画会社の目に止まり、本当にその絵コンテ通りに映画化してしまった「シューテムアップ(2007)」を連想するほどに”こんなものを作ってみたかったんだ!”という楽しさ満載なんです。

 

 

 

ニックス

そんな本作で、正直なところ主人公マイルズよりもキャラが立っているのがヒロイン(?)のニックス。殺し屋として登場する彼女は金髪で美形、スタイル抜群なのに清潔感のカケラも感じない様相にバッタバッタと人を殺すぐらい凶暴、しかしそれでも溢れ出てしまうキュートな部分がクールなんです。例えるなら「エージェントウルトラ(2016)」に出てきそうな脱力系美人な彼女のガンアクションは魅力たっぷりで、特にハートのサングラスをかけてミニガンをぶっ放すシーンは最高に可愛くてクールでバイオレンス。彼女のセリフも「金玉クラッシャーだ!」や「金曜夜の恋人だったのに!」、AA-12を前に女子的ときめきをしちゃうシーン……もう彼女が喋るたびに楽しいんです。

 

 

 

 

スマホ世代の”楽しい”

この映画は両手が銃になったマイルズのドタバタコメディと刺激的なバイオレンスシーンで構成されているんですが、98分という上映時間でそれらが全く中だるみしないんですよね。冒頭でマイルズが「久しぶりにスマホの画面を見ないで街を歩いてる。まるで仮想世界みたいだ。」と話すんですが、現代人のほとんどがスマホに依存していて、もはや外でスマホの画面を一度も見ないことなんてあり得ないと思うんです。SNSYouTubeなんかで”瞬間的な楽しさ”に慣れてしまった現代人にとって、映画という2時間前後で構成されるコンテンツを楽しむ許容が薄れてしまっているのも事実。つまり飽きやすいわけです。

しかし本作は映画として物語の起承転結を踏襲しつつ、そんなスマホ世代が楽しめるようにコミカルな演出、キャッチーなビジュアル、ノリノリな音楽にバイオレンスなアクションをこれでもかと投入することで瞬間的な楽しさをキープしている。そしてさらにSNSYouTubeの楽しさから一段階上の”キマってる”楽しさを提供している。この映画を見ていると、まるでお酒を呑んだ時、サウナで整った時、タバコを吸う時、エナジードリンクを飲んだ時……そんな日常とは違う少し飛んだ感覚になることができるんです。これこそSNSにはない、映画というコンテンツだからできる楽しさの1つだと思うんです。

 

 

最後に

ダニエルラドクリフ主演という話題性が一人歩きしている本作ですが、今は彼の当初のイメージよりも遥かに魅力的な作品選びをしていると思うんです。”ダニエルラドクリフが出ているから見に行こう”の定義がいつか”こういう最高の映画を見たいから”に変わるその日まで追いかけ応援したい、と思える最高の作品でした。最高のガンアクション、音楽、カメラワークをぜひ映画館で堪能してください。

 

パンフレットはゲームの説明書をモチーフにしたデザインで監督、出演陣のインタビューにキービジュアル満載な内容でした。

「藁にもすがる獣たち」感想 1つのバッグに7人の男女。不謹慎な笑い渦巻く見事な群像劇。

「藁にもすがる獣たち」

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あらすじ

ある銭湯で1つのバッグが見つかる。その中には、5億ウォン(約5千万円)が入っていた。母の世話に悩む男、DVに苦しむ女、借金に追われる男……。金という欲に駆られた獣たちによる死闘が始まる。

予告

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獣たち

群像劇スタイルのこの映画、まずはそれぞれのキャラクターが最高に面白いんです。認知症の母の世話と細い仕事に悩む男、水商売をしながら夫のDVに苦しむ女、失踪した恋人の借金に追われる役人の男。特に第1章では、三者三様に”金が欲しい”という共通点はあれどそれぞれ見た目も性格もバラバラな登場人物たちを観ているだけで楽しいんですよね。

そんな彼らを追い詰めるより濃いキャラクターたちは登場するたびに映画全体をグラグラと揺らしていく。この映画は登場人物が多すぎて取っ散らかることがよくある群像劇という難しいジャンルの特性を上手く利用し、別のキャラクターが出れば出るほど面白さが加速していくんです。認知症のスンジャ、不法入国者のジンテ、ヤバい男パク社長など濃いメンツが多い中、最も印象的なのはテヨンの元恋人ヨンヒなんですよね。物語の鍵を握るキャラクターであるのはもちろん、彼女は年をとった女性の色気とタバコが似合う女性でありその姿は「パルプフィクション」でユマサーマンが演じたミアのような魅力が溢れている。タバコを吸う女性が大好きな私の性癖にとってこのヨンヒは、まさにどストライクな人物でした。顛末含め彼女から目が離せなくなる作品なのは間違いなし!

 

 

不謹慎な笑い

そんな個性たっぷりなキャラクターが登場する本作は、一見すると韓国映画特有のエクストリームな残虐描写やノワール感満載のように思えるんです。しかしこの映画、そういう残虐な描写はほとんど直接的には見せないんですよね。

本作は興ざめするような残虐描写を避けて、連鎖的に起こる人の死を不謹慎な笑いとして扱っている。特に終盤の連鎖的に人が倒れていく様は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のラストのような爽快感と笑いを提供してくれていて、まさしくそういう不謹慎でブラックなユーモアたっぷりな作品なんです。何か取り返しのつかないことが目の前で起こってしまって登場人物が「あ、やっべ…」と間を取る瞬間の妙こそこの映画の白眉。

 

 

 

起承転結

そんな不謹慎な笑いを加速させるのがパルプフィクション」を思わせるような時系列をバラバラにした独特の構成。と言っても本作はしっかりと整理された時系列の分解をしているんですよね。

時系列こそバラバラですが、その本質は

①金が欲しい

②金を見つけた

③金を隠す

④金が見つかってしまう

の起承転結を並べている。群像劇で何度も同じ起承転結を見せられることでより一層、笑い用語でいう天丼的な笑いが雪だるま式に増していく作りになっているんです。群像劇を見事に整理した脚本は、初監督作とは思えないほど刺激的で面白い。

 

 

 

 

最後に

昨年公開の三池崇史監督作「初恋」のようなスタイルが好きな方には持ってこいの映画作品でした。(つまり大好物)

是非映画館で不謹慎な笑いを楽しんでください。

「ガメラ2 レギオン襲来」Dolby Atmos感想 4Kでまさしくレギオンが”襲来”する。

ガメラ2 レギオン襲来」(4K Dolby Cinema)

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あらすじ

ギャオスの出現から1年後、北海道に降り注いだ流星群が恵庭岳に落下した。しかし落下地点には何かが落ちた痕跡しか残っておらず、隕石は発見されなかった。さらに近隣のビール工場ではビール瓶が紛失する事件、そしてNTTの光ファイバー網が紛失するという事件が発生していた。その怪現象の位置情報は、次第に札幌市へと向かっていた…。

G2が25年ぶりにDolbyシネマで蘇る!

 

予告

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サイエンス怪獣映画

1996年に上映されたG2。私にとって今回のリバイバル上映は、特撮映画の中でも随一に大好きな本作を25年経った今、劇場で堪能できるという奇跡のような体験でした。なぜG2が25年も愛されているのか。その最も大きな要因が”大人も楽しめる”特撮映画になっているからなんです。

平成ガメラ3部作全てに共通してはいますが、特にG2は科学的ワクワクを重視しているんですよね。レギオンという謎の宇宙生物はどんな生態なのか、何が目的なのか、何が弱点なのか、どんな作戦が考えられるのか。そんな説明し出すと面倒臭くなりそうな話題をしっかり掘り下げ、そこにこそ面白さを見出したのが本作の魅力の1つ。本作のヒロインである穂波碧は、レギオンの生態を説明する時にハキリアリや解剖シーンのように必ずと言っていいほど地球に現存する生物の生態を根拠に話すんですよね。こういう論理的な話し合いで異生物であるレギオンを解明していくワクワクが堪らないし、特撮映画というファンタジーにリアリティを担保しているんですよね。

 

 

 

 

 

”熱い”怪獣映画

本作のもう1つの魅力が自衛隊による軍事描写。この映画では怪獣映画でよくあるような”科学者の意見を無視して強行手段に出る”ような展開が無いんです。ガメラを敵と認識した作戦を立案したのも「ガメラを味方と想定した作戦中に敵となった場合」を警戒してのことだったりと自衛隊自衛隊なりの論理的行動をするんです。敵の正体がわからなければ作戦の立てようも無いからこそ、捜査班を手助けする立ち回りをする。そして最前線での戦いでは彼らが現場に出向くのではなく自衛隊のみで戦えるように作戦を念密に計画する。そんな論理的な展開に敵怪獣レギオンは相応しい生態を持っているんです。小型レギオンガメラに強いが自衛隊に弱い、逆にマザーレギオンには自衛隊は全く歯が立たない。この明確なパワーバランスがあるおかげで、自衛隊がただのやられ役ではなくガメラと共闘する戦力として機能しているんです。そこに終盤での師団長のあのセリフがくればもう胸熱ですよ。人々の努力とガメラの決死の勇姿がレギオンを殲滅するに至るという完璧なまでのストーリーになっている。

 

 

 

 

 

圧巻のDolby上映

と、ここまで簡単にではありますがG2の魅力を語ってきましたが、今回の記事の目玉はそんなG2がDolby Cinemaでどう進化したのか、ということ。

今回の4K Dolby Cinemaによって如実に進化したのは、総じてレギオンの描写だと思います。もちろんガメラや人間の描写も美麗になっていますが、レギオンが出るシーンの進化が凄まじい。地下鉄で小型レギオンに襲われるシーンでは、暗すぎたシーンをくっきり見やすく、しかし明るくしすぎない絶妙なバランスに調節されていたことでより恐怖を感じるシーンになっていました(ちなみに大泉洋さんもはっきり認識出来るようになりました!)。さらに仙台における日中のマザーレギオンは土埃などの描写の進化によってより一層、質感や巨大感が伝わってくるようになっていました。そして極め付けは終盤の利根川決戦シーン。ナイトバトルであるこのシーンは、小型レギオンの羽音の不快感のレベルが格段に向上し、さらにマザーレギオンの攻撃全てが夜に”映える”美麗さになっているんです。

格段に進化したレギオンの襲来を、是非映画館で堪能してください!

「すばらしき世界」感想 広すぎる空で私達は窮屈に生きる。(ネタバレあり)

「すばらしき世界」

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あらすじ

元殺人犯の三上正夫は、13年の刑期を終え東京の下町に暮らしていた。すっかり変わってしまった現代の東京に戸惑いながらもなんとか生活をする三上だったが、彼はなかなか就職できずにいた。生活保護で生活は出来ているものの、社会から必要とされていない孤独に押し潰されそうになる三上。そんな彼に手を差し伸べる人々が現れ出すが…。

 

予告

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囚人三上正夫

元ヤクザの殺人犯三上正夫が出所するところから始まる本作。役所広司演じる三上は出所しても囚人だった頃の習慣が抜けないんですよね。さらに13年も獄中にいたのでカルチャーギャップも生じている。そして元ヤクザで喧嘩っ早いせいで少しイラっとすると喧嘩口調になってしまう。特に教習所でのシーンはこれらが相まって爆笑必死のシーンでした。こんな三上を構成する要素が愛おしく面白くて、コメディとして楽しいんです。これは役所広司の演技が絶妙で、世間からすれば変わっているんだけど私達の生活と地続きの人物として見えるからだと思うんです。この前半から彼が人から好かれる理由がわかるし、何より観客も三上が好きになっていくんです。

 

 

 

東京タワーとスカイツリー

本作の前半では、出所した三上が東京の生活に馴染もうとする姿が描かれます。しかし下の階が夜うるさいと怒鳴ってしまったり、スーパーで万引き犯と間違われて怒ってしまったり、おやじ狩りを仲裁したりとどうしても突飛なことをしてしまうんですよね。そんな前半で今の時代とはそぐわない三上の生き方、そして昭和を象徴するモニュメントとして描写されるのが東京タワーなんです。とんでもない早さで物事が移り変わる東京で、唯一取り残された存在として描かれる三上の奮闘ぶりは、どうしても応援してしまう。

一方で周囲の助けもあってそんな三上の努力が実る後半では、介護施設で働き出して元妻とも連絡が取れ、仕事もプライベートも上手く生き始めるんですよね。そんな後半に強調されるのがスカイツリーなんです。昭和のまま生きてきた彼もまた、今の価値観に順応することで現代に生きる権利を勝ち取った。怒りを抑える方法を覚え、愛想笑いを覚えて、誰かがいじめられていても黙って見過ごすことを覚えたことで三上はやっと、現代人になったんです。今を”普通に生きる”術を会得した彼の姿に周囲の人間や観客も含め感動している最中、彼は自ら命を絶ってしまう。

 

 

 

 

 

広すぎる空

三上はなぜ命を絶ったのか。彼は助けてくれた人々の顔に泥を塗るようなことはしたくなかった、それでも見て見ぬ振りを強いられる世界に生きてはいられなかったんです。「私達は適当に生きているのよ。」「本当に必要なこと以外は聞き流す。」

そんな現代を生きるために私たちがなんとなくやっている事が、三上にとっては自分を捻じ曲げる行為でありそのせいで変わっていく自分を容認仕切れなかった。けどこれは、何も三上だけのことではないと思うんです。誰しもが今の世の中、世界に疲れているし、正しいとなんて思っていない。だけど私達はそれに合わせて生きている。

組のカシラのため、絡まれてるオヤジのため、妻のため…と自らの良心を信じて生きてきた三上の背中は、どうしたってかっこいいんですよね。そんなかっこいい人物が生きていけない現代。正しいことをしない、かっこいいことをしないことが当たり前になった今、それでも私達は生きている意味があるのか。刑務所の中では、信念に従って良心を振りかざしても仲裁が入り刑罰という形でやった行為をチャラにしてくれる。でも一度外の世界に出れば、自分のやった行為の仲裁は入らない。確かに外の世界は空が広いし自由。しかし広すぎる空で私達は、窮屈に生きている。鑑賞後は広すぎる空を見て、呆然と立ち尽くすしかない気持ちになってしまう大傑作でした。

 

 

 

 

最後に

劇中、三上の背中を流すシーンが出てきます。私達は三上の背中を見て、何を見出せばいいんでしょうか。彼はどう生きて、なぜ死んだのか。その答えが出るまで、考えることをやめてはいけない。それこそが「すばらしき世界」を目指す唯一の回答なのではないでしょうか。

是非映画館で見て欲しい、大傑作でした。

「KCIA 南山の部長たち」感想 彼が殺したのは大統領なのか、それともただの上司なのか。

KCIA 南山の部長たち」

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あらすじ

1979年10月26日、パク大統領が暗殺された。

かつて韓国の南山には、韓国中央情報部(KCIA)が存在した。突如起きたこの暗殺事件の犯人は、巨大な権力が集中する組織KCIAを束ねるキム・ギュピョン部長だった。事件の発端は、40日前にKCIA元部長がアメリカ合衆下院議会聴聞会にて、韓国国内における大統領の腐敗について告発したことから始まっていた…。

予告→

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大統領暗殺事件

この映画のモデルとなったのが、1979年に起き朴正煕暗殺事件。この主犯格が本作でイ・ビョンホンが演じてた大韓民国中央情報部部長キム・ギュピョン。この映画は事実を元にしたフィクションとは言っていますが、明確に実在の組織や事件が扱われることもありその本質はやは朴正煕暗殺事件の映画化なんですよね。数十年前に実際に起きた大統領暗殺事件を映画化する韓国映画業界のチャレンジングな姿勢には本当に感心してしまいます。日本では2019年に公開した「国家が破産する日」と同様に、自国の闇の歴史、それも現代にもその事件について賛否が別れている案件を映画化するのって日本ではまだまだ出来ないグレーな部分であるし、しかしそのグレーに突き進む姿勢こそが映画という巨大な娯楽コンテンンツを押し広げて来た由縁だとも思うんです。今の日本映画に足りない姿勢を見せられたような気がする作品でした。

 

 

 

ヤクザ映画

そんな国家を揺るがす大事件を描いた本作は、驚くほどヤクザ映画的なんですよね。大統領という頭の命令に従わざるおえない主人公キム部長とクァク室長という若頭がぶつかり合う様相は、明らかにヤクザ映画、マフィア映画を意識した作りになっているんです。仮にも国家というパブリックな組織を描く上で、裏切りや跡目争いと言ったノワールな展開を盛り込むことで政治的な思想ではなく彼らのパーソナルな部分にこそフォーカスを当てている。劇中の「人には人格というものがあり、国家にも”格”というものがある。」というセリフが象徴するように、韓国というファミリーの格を下げてしまいかねない原因である現行の体制に反抗するために、暴力という手段を使ってでも立ち上がらなければならなかった漢の話として、大統領暗殺を描いているんです。

 

 

 

 

サラリーマン映画

この映画が見せるもう1つの描き方が、サラリーマン的な物語。腹の立つ同僚に無責任な上司に囲まれた環境で、意地悪なことをされながらも「仕事だから…」とうだつの上がらない毎日を過ごす会社員のような展開が繰り返され、そこから溢れ出る怒りや憎しみがピークに達した時に訪れる最後の瞬間。前述した国を守るという大きな目的のためではなく、この事件は究極に個人的な復讐劇でもあるというのが本作の描き方で、そこをはっきりさせないんです。ムカつく上司を前に銃を片手に暴れてやりたい…という会社員がきっと毎日しているんじゃないかという妄想を具現化したようなラストの襲撃シーンは、ワンカットで史実通りのミスや手違いが連発することで生じる異常なリアリティと身近に感じられるキュートさを帯びている名シーンで、特に「貴様が死ね。」と言い放つシーンは最高なんです。

 

 

 

 

人間を殺すということ

キム部長は、国のために大統領を殺したのか。それとも個人的な憎しみで上司を殺したのか。本作では、言葉では限りなく国のためとしつつもキム部長が時折見せる表情や間の取り方、吐き捨てるセリフに到るまでどこか憎しみを感じさせてくるんです。大義のためかもしれないし、自分のためかもしれない。そんな曖昧な答えを提示した上でこの映画は史実通り、キム部長に対して「南山へ向かうか、陸軍本部へ向かうか」を問われた時に彼が言う答えとその時見せる表情は、彼が大統領を殺したわけでも、上司を殺したわけでもないと言う事が滲み出ている。彼は1人の”人間”を殺したんです。人を殺すと言う事が何を変えてしまうのかを観客に突きつけるこのエピローグのシーンが持つ深い後味は、鑑賞後もずっと観客の心に残り続けることは間違いなし。

 

 

最後に

国家を揺るがす大事件をイ・ビョンホンの抑えた演技で見せる本作は、韓国の歴史を知らなくても十分に楽しめる作品になっていると思います。ぜひ映画館でこの渋めの傑作を味わってみてください。