「プロミシング・ヤング・ウーマン」感想。すべての差別主義者へ。”敬意を払え。”

「プロミシング・ヤング・ウーマン」

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皆さん、お久しぶりです。

化石状態となっていた本ブログですが、数か月ぶりに更新する運びとなりました。これからも不定期な更新ではありますが、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性に敬意を払え

監督は女優でもあるエメラルド・フェネル、主演キャリーマリガン、マーゴットロビーがプロデューサーを務めたという女性を芯に添えて作られた本作。

 

彼女たち自身の体験をも反映されたこの作品で描かれるのは、現代を生きる女性の目に映る現実。男の発言、しぐさ、行動、そして下心。敬意がなく無自覚なそれらの事柄をこれでもかと観客にぶつけてくる。ポップな見た目とは裏腹に、リアリティとスリリングさを兼ね備えた棘のある演出が巧みに展開されていくことでこの映画は、私たち観客へ”敬意を払え”と警告してくる。

 

 

私自身、女性として生きたこともなければ、女性の感情を読み取る能力すら持ち合わせてはいない。そんな男たちには当然理解はできないだろう、だが敬意ぐらいは払えるだろう?と、世の男性たちに問いかけてくるんですよね。等身大の女性の復讐劇が、私たち男に棘を突き刺す劇薬のような映画なんです。

 

 

 

 

 

 

 

差別と復讐

しかし本作は、男性だけに棘を向ける作品にとどまらない。劇中で主人公キャシーが行う復讐は、一見するとポップにすら見えるんです。なぜ、女性がリベンジするお話を表層的にはポップに描く必要があるのか。そこにこそ、本作が持つ最大の意義があると私は思います。

 

 

キャシーは、学生時代のリベンジをするために1人ずつ事件の関係者を訪ねてはあらゆる手を使って”社会的制裁”を加える。もちろんこのメンツには危害を加えた男共も含まれていますが、それを容認した、または見て見ぬふりをした女性たちも含まれています。”男女関係なく”この事件に関わった人々に落とし前をつけていく。このシーンがポップで爽快なんですが、それとは真逆にどこかドライなものを孕んでいるんですよね。さらに復讐を続けるキャシーに対し、当事者の親からもう辞めるように促されたりもする。

 

これは、まるで自警団として街のおっさんが立ち上がるジェームズガン監督作「スーパー!」のような、正義・復讐という建前のうえで行われるあらゆる制裁に、共感しつつもどこか引いてしまうという感情を引き出させてくる。ポップな装いをすることで本作は観客に爽快感を提示しつつ、時に観客を突き放すような演出をあえていれてくる。

 

 

 

女性が男性を打ち負かす制裁、しかし男性が暴力でそれすら封じてしまう残酷さ。そして自警団としての復讐の鋭利さ。このどうしようもない毒のような問題をあえて如実に表すことで、この映画を決して単なる「女性の復讐劇」で終わらせないようにしているんです。

復讐が行われた、結果はこうなった、さぁ後は現代を生きる男と女、君たちで考えてくれ。それこそが、男女の隔たり、差別の壁を打ち破る道なんだと示してくる。

 

 

 

 

最後に

私の文章力ではどうしても重い作品に思われてしまいそうな本作ですが、誰もが見やすく工夫の凝らされた疾走感のある脚本とスリリングな展開は誰もが楽しめると思います。ぜひ映画館で、彼女たちの怒りを浴びてください。

現在、一部の映画館で先行上映中。7月16日から全国公開!