「'96」感想 22年目の告白 -私もずっと好きでした-

明けましておめでとうございます。

本年も、本ブログ並びにファルケンなうをどうぞ宜しくお願いいたします。

 

このブログを読んでくださっている数少ない貴重な皆様にとって、より良い1年になりますように。

 

 

というわけで、新年1発目に観てきたのは、インディアンムービーウィーク2019で上映された作品。

 

 

 

 

 

 

「'96」

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1996年卒業生たちが集まる同窓会で、ある2人の男女が再会する。
魅力的な恋物語が再び紡がれると思いきや、2人には大きな問題があった。絶対に結ばれてはいけない2人が、最初で最後の一晩を紡ぐ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同窓会の闇

成人式や同窓会を、心から楽しみにしている人っているんでしょうか。懐かしい旧友たちと会える反面、友人との優劣だったり、顔を見ても名前を思い出せなかったり、元恋人と気まずくなったり…。懐かしい友人と会える!というのが魅力と言えど、仲の良かった友人は結局のところ連絡を取り合ってたりするから、よくよく考えると意義がよくわからないんですよね同窓会って。

そんな同窓会、成人式の闇こそ、懐かしい人々の変化だと思う。自分より良い会社に入ってる。自分より給料貰ってる。痩せてる。そして結婚してる。勝手な優劣をつけて他人を見てしまって、そのギャップに苦しくなってしまい、自分が惨めになってくる。これこそ”闇”なんです。

 

そして本作は、そんな同窓会の闇から物語が始まる。同窓会で再会したけど、片方は結婚していてもう恋人関係には戻れない…。

 

 

 

 

第三の視点

よくあるこういうシチュエーションの映画って、なんだかんだくっついちゃうこと多いと思うんですよ。でも本作は、そこを絶対に超えてはいけないラインとして決めている。

主人公であるラームは、高校生(?)のときに友達だったジャーヌに恋心を抱く。最初はラームの視点で、恋しちゃった男の子が女の子にどうアプローチするかという視点で物語が進んでいく。この視点では当然、ラームがジャーヌを追いかけている。

しかし突然、ラームが学校に来なくなってしまう。ここから視点は大きく変わり、恋されちゃったジャーヌがラームを追いかける視点に。もうほぼ恋人関係になったのに、肝心の当人が行方知れずという状況で彼を追いかけている。

学生時代の視点は、”追いかけている”視点として両者を均等に描く。両者から見た、両方の視点でこの恋を見るからこそ、不定形な恋の全容がわかってくる。

 

そんな2人の恋模様は、卒業後のパートに移ると変わってくる。

ラームは、ジャーヌの大学まで行って探しており、現在も童貞のままであるという恋が地続きの視点。

そしてジャーヌは、大学にきたラームを見ておらず自己認識的に”そんなの知らない!”と思い込み、彼のことを諦めざる負えない状況で諦めてしまった視点。

この2つは学生時代の両者の視点とは少し変わっていて、同じく相手のことを思いながら暮らす自分のお話なのに、事実関係にズレが生じている。こんなズレが、もう1つの視点を呼び起こすんですよね。

 

第三の視点は、大学に探しにきたラームとジャーヌが再会し、2人が再び交際を再開して、結婚して、幸せな家庭を持っているという視点。この視点は、完全に妄想であるけど、この2人はこの視点でのみ結ばれている。現実で相手を求めれば求めるほど、妄想に落とし込混ざる負えなくなっていく。順調に行けばキスも、一夜を共にすることも、手をつなぐこともできたのに、それは絶対にできない関係になってしまった2人が、会話と仕草、表情からは相手が好きで好きでたまらない感情が溢れ出てるのに、それをひた隠しにするためにする行動の1つ1つに涙してしまう。

 

 

 

 

 

散歩

そんな、2人が愛情表現を隠すために度々行うのが”散歩”。手も繋がないし、そのあと営む訳でもない。ただ、2人で夜道を歩くことだけが、世間がいう不倫にならずに2人の気持ちを確かめられる行動。散歩している時は、ラームの視点でもジャーヌの視点でもなくて、まるで妄想のような 第三の視点になる。

 

 

 

 

最後に

恋愛映画でここまで共感して、楽しい気持ちにも、悲しい気持ちにもなってしまった映画はなかなかありませんでした。たった一夜の出来事だからこそ、この関係が儚くも美しく見えるし、最後にはホロリと泣いてしまうこと間違いなし。

2020年1月8日現在、もう見れる映画館もないしDVDなどの発売もあるかわかりませんが、見る機会が訪れた時には是非見て欲しい作品でした。