「パラサイト 半地下の家族」感想 お金が欲しいんじゃなくて、金持ちになりたい。

「パラサイト 半地下の家族」é¢é£ç»å

 

 

 


貧乏とは何か。
非情なまでの現実が、観客を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 


貧乏だから楽しいじゃん!

まずこの映画の冒頭、貧乏で半地下に住む家族は仲が良くてすっごく幸せそうに写るんですよね。家はボロボロだし汚いけど、家族同士で支え合ってふざけあって、貧乏でも不幸と感じさせない生活をしている。そんな家族の長男が金持ちの家の家庭教師になり、妹も家庭教師に、父を運転手に、母を家政婦に仕立て上げていくこの映画の前半部分は、コミカルで本当に楽しい。
どんどん金持ちの家にパラサイトしていって、報酬に良い家での生活にワクワクしている4人の姿を見ているだけで楽しくなるし、そんな4人に共感しちゃう。貧乏だけど、俺らは俺らなりの幸せがあるんだよ!と言うような4人のパラサイト生活から、同じく貧乏である僕ら観客にとっての理想のように感じられてくる。貧乏だって、幸せなんだ!と肯定してくれているような気持ちになるんです。

 

 

 

 

 

 

貧乏のにおい

しかし次第に、4人は金持ち家族から怪しまれることに。言動や仕草、服装は完璧に金持ちの家に同化していた彼らだったけど、金持ち曰く”地下鉄みたいなにおいがする”という理由で。
冒頭で、貧乏なりの幸せを見せてくれた本作は、このシーンから一転して貧乏が見たくない、聞きたくないことばかりになっていく。貧乏が、なんとか取り繕って服装を綺麗にしても、言葉使いに気をつけても、仕草を正しても、その人物の根本にある性根のような部分から臭う”におい”は消えない。これって、自分より金持ちの知り合いがいる人ならすっごく共感できると思うんです。
僕は大学に通い始めた時、貧乏と金持ちの感覚の違いを実感したんですよね。奨学金を借りて学費を補い、通学費や教科書代をアルバイトで稼ぐ一方で、知り合いはアルバイトもしていなければ遊びに行けばポンポンお金を使う。さらにその人曰く1回の買い物でその人は親のクレジットカードから10万ぐらいは使ってもOKらしい。夏休みには海外に行き、インスタグラムは楽しそうな写真にあふれている。そんな生活の違う両者が一緒に遊ぶ時、感覚の違いが如実に現れる。そしてそんな感覚の違いを埋めて知り合いと釣り合うようにするために、いつもよりちょっと高い服を着たり、無理して一緒に高価なお店に行ったり、良い洗剤を使ったりしても、金持ちと同等にはなれない。服にお金をかけると食事が、食事にお金をかけると遊びが、遊びにお金をかけると健康が……。無理してどこかの帳尻を合わせても、どこかで差がついてしまう。貧乏から香るこの”におい”は、金持ちにならないと消えない。

 

 

 

 

 

 

無計画

そんな4人がある顛末を迎えてしまい、父が”無計画にしよう”と語る。無計画なら失敗しないから、と。これこそ、貧乏の連鎖が止まらない理由なんだと思うんです。失敗を恐れてしまい、何かを計画して実行する気力さえなくなってしまっている。例えば、半地下の家族の家はボロいだけでなくいろんな物が散らかっていて汚い。これは、部屋を綺麗に掃除してもすぐに汚くなっちゃうんだから、もう掃除しなくて良いじゃないという考えから。もっと言えばラストのあの展開も、一見すると意味不明な行為なんだけど、これは無計画だからこそ起こった悲劇であり、この動機は貧乏にしかわからない感覚なんですよね。無計画という感覚こそ貧乏の連鎖であり、これから抜け出すのはかなり難しい。だってもう、貧乏は諦めちゃってるんだから。

 

 

 

 

 


金持ちになりたい

貧乏を描く作品って、無数にあると思うんです。それは、多くの観客が共感しやすいから。だからこそ、”貧乏でも楽しいよね!”みたいなラストに落ち着く映画が本当に多い。だけどこの映画を観た観客が、それでも貧乏でありたいと思うことはほぼないと思う。主人公が金持ちになることを決意するのが代表的で、誰も貧乏のままなんてイヤなんです。男女や人種など様々な差別が見直される昨今、貧乏と金持ちによる格差社会がなぜなくならないのか。それは簡単で、どちらか片方にしか皆なりたくないから。どちらかが存在すればもう片方もできてしまうのに、両方のバランスが取れていない。貧乏は結局金持ちに成りたくて蹴落とし合い、人と比べて、自慢をする。金持ちになろうとする人が増えれば増えるほど、貧乏と金持ちの差別は無くならない。貧困格差だけは、どれだけ差別意識の撤廃が向上しても無くならない、永遠の差別であることに気づかされる。
貧乏の現実を突きつけられた観客は、誰も金持ちに嫌悪感を抱かないし金持ちに成りたいと思う。貧乏から抜け出したいと思う。このロジックは、どれだけ繕っても拭えないんです。これこそ、貧困格差の現実なんです。

 

 

 

 

 


最後に

僕は田舎の映画館でこの映画を鑑賞したんですが、都会ではない言ってしまえば低所得な地域で見るというリアルタイム感と、鑑賞後に節約のためパン屋の安売りコーナーでパンを買ったりするような行動全てに”=貧乏”が付き纏うとんでもない映画体験でした。
貧乏というロジックの現実を、ぜひ(できれば田舎の)映画館でお楽しみください!