「ゴーストマスター」感想 映画を愛するからこそ、僕らはもう1度”映画”に向き合ってみなければならない。

「ゴーストマスター」

 「ゴーストマスター」の画像検索結果

 

 

壁ドン映画も、ホラー映画も、スプラッタ映画も。

どんな映画にも潜む”ゴースト”がついに暴れ出す!!

 

”映画”を愛する全ての人が憑りつかれる恐怖の映画体験!!

 

 

 

 

 

 

 

 

壁”ドン”

これは人気漫画『僕に今日、天使が舞い降りた』の実写映画!……ではなく、そんな撮影現場にいた映画狂いの助監督の怨念が襲い掛かるスプラッタホラー!!!!

この設定のギャップが、まず面白い。冒頭、極度に甘酸っぱく味付けされた映像から始まり、そこから観客を一気に現実に引き戻し、さらに”壁ドン”一発で地獄のどん底に突き落とす。このジェットコースターのような冒頭部分は、圧倒的な攻撃力を秘めたシーンになっている。そしてこのギャップはこの映画の軸となっていて、ホラースプラッタなんだけど、常にラブコメなセリフやしぐさが散りばめられていることによる化学反応により、全体はコメディタッチになっている。笑っていいのか悪いのかの最高峰のような、ラブコメ×ホラーの絶妙な面白さにまず持っていかれた!

 

 

 

 

 

”映画”という生き物

しかしこの映画の本質はそこではない。この作品の主人公黒沢はまるで映画に憑りつかれたかのように、映画中心に脳が回っているような人物。そんな黒沢は常に、映画をまるで生き物のような、精気のあるモノとして語る。そんな黒沢が書いた脚本に宿ったゴーストが、映画人たちを呪い殺していく。まさにこの作品は、”映画”という化け物の具現化なんです。

映画が好きな人なら誰しもに、自分なりの”映画”があると思うんです。例えばアクションだったりラブコメみたいなジャンルだったり、手法だったり、キャストだったり、監督だったり。そんな映画狂いたちが今、”映画”に対してどう思っているのか。自分の好きな”映画”から生まれた数多ある作品のなかで、観客に甘えたような舐めた作品がなぜ生まれるのか。自分が大好きな”映画”の作品を、なぜ批判するのか。この作品は、映画が好きであればあるほど、起こる惨劇の数々を、”映画”に対する自分の怒りとリンクしていく。ブコメ、ホラー、スプラッタ。そんな今では半笑いで観られるようなジャンルたちが、それらが持つ最大級のパワーで、舐めた映画好き、そして映画人たちに喝をいれていく。”映画”は生きている。だからこそ、僕らは好きなんです。死んだ映画なんて、作るんじゃねぇ!!

 

 

 

 

カメラの前に立つ人生か、スクリーンの前に座る人生か。 

そしてこの作品は、さらにその奥まで突き付けてくる。映画を好きで好きで仕方ない僕達が、目を背けたくなるような現実を。それは映画が好きなのに、映画に関係した道に進まなかった自分の脳裏に、ドロドロした感情を生み出してくる。なぜ、こんなにも映画好きが居るのに、みんながみんな映画業界に進まないのか。それは、スクリーンの前に座って観る”映画”と、現実での”映画”のギャップを見てしまうのが怖いから。エンターテイメントである”映画”のドス黒い部分、それは夢半ばで諦める者や燻る者、そして労働環境や時には大きな事故。映画とは、様々な映画人の努力によって成り立っている。それは同時に、映画人たちの人生を蝕んでいる。映画が好きで好きでたまらないからこそ見ないようにしている、”映画の嫌いな部分”を、この映画は突き付けてくるんです。

 

それでもなお、スクリーンの前に座ることを選んだ僕らも、カメラの前に立つことを選んだ彼らも、”映画”という生き物に憑りつかれ続けられることを望んでいる。そこに人生の選択なんて関係ない。だって、映画が好きなんだから。映画のパワフルな生の部分と、ドス黒い死の部分を描き切った最後に、スクリーンをたたき割る。そんな境目なんて関係ないんだ!と言わんばかりに。

 自分が好きな”映画”を、これまでに無いほど”しっかりと”見てみることで、観客である僕らの中にある究極の映画愛を、最後に気づかされるんです。

 

 

 

最後に

 グロスプラッタと思っていたら、まさかここまで”映画”を見直すための映画だとは思いませんでした。

中盤でダレる点が気になったりはしましたが、映画が好きで好きでたまらない人こそ、もう1度”映画”に向き合ってみる機会を、是非映画館で体験してください。