「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」感想 銀河の銀河による銀河のための英雄。

スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」(2D吹替)

「スカイウォーカーの夜明け」の画像検索結果

 

 

ついにファルケンなうの口が開かれた!

監督J・J・エイブラムスが復活。

 

スターウォーズ、スカイウォーカーの歴史に終止符を打つべく立ち上がった1人の映画監督。しかし彼の目の前には、余りにも高い世界中からのハードルが立ちはだかっていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

J・J・エイブラムス

エピソード7を監督し、再び監督に抜擢されたJ・J・エイブラムス。そんな彼が以前監督していた作品の1つにスタートレック」シリーズがあげられます。「スタートレック」では1作目と2作目を担当し、今見返すとスタートレック1作目とスターウォーズep7はかなり近しいものを感じる作品になっている。キャラクターたちの魅力をひきだす構成、バランスの取れた過去作へのオマージュ、そして続編へのバトンタッチ…。ここから、もしスターウォーズep8をJJが撮っていたらどうなっていたのか…を予想できるんじゃないかと思うんです。スタートレックの2作目は、前作で確立したキャラクターを再配置し、より深くキャラを掘り下げてキャラ同士の関係性にこそ魅力を作り出す作品でした。そう、シリーズものの2作目としてJJはキャラの魅力に焦点を当てていたんです。つまりもしJJがep8を撮っていたら、レイ、フィン、ポーの面々による関係性を深める作品になってたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

冒険活劇

そんなJJが撮った本作はep8とは打って変わって、レイ、フィン、ポーによる冒険活劇がメインに。これこそスターウォーズだ!と言わんばかりのワクワクする冒険活劇が本作の大筋になったことで、スターウォーズをこれまで楽しんできたファンたちが素直に本作にのめりこむことが出来るようになっている。レイとポーは結構言い合いするんだとか、フィンは仲裁する役なんだ、とか。こういう関係性こそ冒険活劇には必須だし、これがあるから冒険が面白くなる。

本来なら前作でクリアしておかなくてはならなかった、仲間との関係性という部分をようやく完了したんです。

 

 

 

復興作業

上記したように、冒険活劇としてのスターウォーズの復興をはじめとして、本作では前作を補うようなシーンが多々見られました。冒頭から、レイの修行や大きな強敵の予感など、正直これらが3作目へのフックになるような、前作のケツに持ってくるべき要素をかなりのアップテンポで詰め込んだり、ポーの生い立ち、フィンの境遇の深堀り、そしてレイの素性というキャラクターの魅力を掘り下げるうえで必要な過去の経歴を冒険を通して引き出したりもする。2時間22分もある本作の半分ほどは、これら関係性の復興作業に充てられるんです。

さらに復興作業はキャラの深堀だけでありません。例えばローズの立ち位置の見直しが行われた。彼女は前作ではレイ、フィン、ポーと同等のメインキャラでしたが本作ではレイアの補佐的な立ち位置に。そしてスノークの問題についても見直しされ、前作で簡単にやられてしまったスノークパルパティーンのコマでしかなかったという後付けがされたり、前作でほぼ出番のなかったレン騎士団の登場など様々な復興が行われた。さらにルークという人物の使い方も見直しが行われ、本作のルークは前作冒頭での奇行(ライトセーバーを放り投げる)と対比させてルークがライトセーバーをキャッチするという上手い回収を行っていたり。このように本作は前作でのスターウォーズ的でない部分を再チューニングすることに全力を注いだ作品でした。

 

 

 

 

 

スカイウォーカー

本作のタイトルにもなっている”スカイウォーカー”。スターウォーズとは果てしなく続く銀河が舞台だが、描かれるのは1つの家族のお話。本作はそのロジックに立ち返り、スカイウォーカーとしての終焉をこそ描き出した。レイは血ではなく精神を受け継ぐことでスカイウォーカーと名乗ることが出来た、という意味でスカイウォーカーの物語であると同時に、このシリーズにおける真の主人公ベン・ソロによるスカイウォーカーの物語でもある。正直、本作によって”新”スターウォーズである意義は完膚なきまでに壊されたといっても過言ではないほど本作は”スターウォーズ”を繰り返した作品になり、このシリーズもその作品群となったのは事実。それは主人公レイも例外なく。

 

しかし、このベン・ソロ、カイロ・レンという人物を置いたことこそ、本シリーズが”新しい”と高らかに宣言することが出来る要素だと思う。ベン・ソロを通してジェダイの呪縛や親世代の功績を分解し、再配置することで、ep4~6とep1~3で描かれたルークとアナキンの親子の物語、または血筋、光と闇の物語を1つの作品に落とし込んでいる。ep1~6という壮絶なスターウォーズサーガの光と闇の物語を、同時代的、同作品的に交互に描く事が出来たことこそ、ベン・ソロという人物の功績である。本作は、スカイウォーカーの、光と闇の物語を再び見直し、”スカイウォーカー”という名前の持つ意味を表す作品になった。

 

 

 

 

銀河が救う話

では”スカイウォーカー”の意味とは。ルーク・スカイウォーカーは、銀河における伝説となり、反乱軍に止まらず農民や奴隷にまでこの伝説は届いている。ルーク亡き今、それでもなおスカイウォーカーが語られていることこそ、”スカイウォーカー”という言葉の持つ意味なんです。

それを最も反映した人物が、トルーパー兵から自らの意志で反乱軍に加わったフィン。彼は本作中、無意識的なひらめきから「感じるんだ」と言う。彼はジェダイのようにフォースを操ることは出来ない。ではなぜ彼はジェダイの直感のように「感じる」ことが出来たのか。その謎を解き明かす手がかりこそ、本作で新登場したジャナ。彼女もまた、トルーパー兵を脱退した人物であり、彼女曰く「中隊全員が、一斉に銃を下した」という。そう、このとき彼女、またはその中隊の誰かが”何か感じた”。正しい行いをしようとする、フォースの導きを。ジェダイのようにフォースを操ることは出来なくても、フォースを感じ取ることは出来る。これこそ、本作が描き出したもう1つの”新スターウォーズ”。

ラスト、ランド率いる増援として銀河中の商業船や民間船が登場した。フォースの導きを感じ取った、銀河中の人々が立ち上がった。これまでのスターウォーズジェダイによって銀河が守られた話なら、この新シリーズは銀河によって銀河が守られた話になっている。伝説としての”スカイウォーカー”という名前が、人々のフォースを呼びおこし、銀河の人々を導いた。スカイウォーカーの血が絶たれてもなお、”スカイウォーカー”は銀河を守り続ける。これこそ、「スカイウォーカーの夜明け」

 

 

 

 

 

賛否両論

…と、かなり絶賛方向に話してきましたが、本作はかなり賛否両論。確かにスターウォーズはどんな作品であれフォースの扱いなどで賛否は分かれますが、本作は映画的作りの歪さにも否定的な部分が観られたと思う。

あまりに否定的意見が多かった前作でしたが、そんな前作には”絵の強さ”があった。ストーリーとしては違和感を感じても、この”絵の強さ”によってep8は印象的なシーンが本当に多い。一方で本作は、昨日観たばかりですが正直、印象的なシーンが物凄く少ない。これだけの要素を2時間半に納めるためとはいえ、明らかにテンポが早すぎるし、シーンをこなすことに集中し過ぎてそれ以上の演出的工夫が出来ていない。お話としては、パルパティーンの再来やレイの生い立ちなどワクワクするのに、肝心の見せ場が無い。映画は”画を映す”モノなのに、本作はそこに魅力がない。

さらに、これは前作にあった要素の強化でしたがフォースチャットを含めた幻覚などの多様により、特にベンとレイが関わっているシーンは何が現実で何がフォース的な可視化で、何が苦悩からの幻覚なのかがどんどんわからなく、ややこしくなっていく。

3つ目に、今作で物語が進む要因が、ほとんどレイの直感である点も不満でした。レイは、強まるフォースで自分を見失いかけてるとはいえ、彼女の突飛な行動があまりに多い。仲間とは基本的に別行動し、仲間を危険に晒してしまったりしてしまう。シリーズ通して彼女は操縦、整備、銃撃戦、フォースなど出来る要素が多く、欠点が少ない為仲間と協力しないといけない人間に見えないのに、本作における勝手な行動も相まって、中盤は彼女の突飛な行動自体が不快になってしまう。

そして最後に、これは絶賛的な意見の裏返しですが、ラストバトルでの援軍が来る騎兵隊演出について。まずこのシーンは、様々な船が登場するんだから色んな異種族、異種船を映したり、彼らが銃器ではないもので戦うイウォーク的快感を見せてほしかったし、何よりこのシーンやレイにこれまでのジェダイが語りかけるシーンも含め、こういう全員集合!演出って、シリーズファンからしたらとんでもなく嬉しいと思うんです。だけど、そのいわば”ズルい”展開を同じ年に2回もやってしまえば、正直飽き飽きしてしまう。言わずもがな1回目は「アベンジャーズ/エンドゲーム」のラストなんですが、こういう全員集合展開は、何よりそのリッチ感、豪華感が大切であり、多用するべきではないんです。シリーズファンが絶品的にウケが良いこの展開は万能ではなく、賞味期限の短い、禁断の手なんです。これを多用しようとするディズニーの作り方には、疑問が残るラストでした。スターウォーズの大締めとしてこの手を使うなら、せめて「エンドゲーム」とは時期をずらし、以降の新作情報を秘密にしなければならなかったんじゃないでしょうか。

 

 

 

最後に

スターウォーズファンって、面倒くさいんです。人それぞれスターウォーズのどこが好きか、嫌いかは違うし、それが教典になっているし。だけど、そんな人々が賛否を意見しあうこの潮流こそ、”スターウォーズ”の醍醐味。是非映画館で本作を鑑賞して、同時代的潮流を楽しんでください!!

今回は長々と失礼しました!