「ウトヤ島、7月22日」感想:”凄惨”としか言いようのないものを、目の当たりにする。

ウトヤ島、7月22日」(字幕)

 

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7月22日、ノルウェーで起きた、死者77名、重傷99名、心的外傷300名に上る、史上最悪の単独無差別殺人事件。

この事件で72分間もの間、銃撃に晒され続けた若者たちがいた。この映画はそんな彼らを、72分間ワンカットで描き切る…。

 

 

本日のお品書き

 

 

 

事件を描き切る

こういう実話、もっといえば事件を基にした映画って、その前日とか、主人公や犯人がそこにいたるまでの経緯をざっと見せてから事件が起こり、本編に入ると思うんです。けどこの映画は冒頭、すぐに始まる。

政府庁舎の入り口で車が爆発し、一瞬で日常から解き放たれてしまう。

一方で、ウトヤ島にいる主人公カヤは、そのニュースを聞いてそれについて仲間内で話していると、すぐに事件が起こる。

この映画は、”事件”を描くのに終始し、それ以外のあらゆる要素を排除してる。それは、2017年に公開されたボストンマラソンでのテロを題材にした「パトリオットデイ」とは真逆の作り方。「パトリオットデイ」が、実際の人物の実際の証言を使い、テロから立ち直る人々を描くことで”テロに屈しない”ことを掲げて希望を残したのに対して、本作は事件での生存者や犯人の内情はほとんど語らないし、登場人物や出来事はあくまでフィクションとして、テロ、無差別殺人という最悪の事件を真正面から描き切っている。そこには、”テロを絶対に起こさせてはならない”という警鐘のようなものがあると思う。この映画は、希望なんて一切描かない。世界はまだ、テロの脅威から”助かって”ないんだから…。

 

 

”観る”のではなく”見ている”感覚

そんな理由もあって、本作は物語的な面白さは一切ない。一応、妹を助けるために行動しているけど、妹の所在や生死を観客に注目させる気はなく、あくまでこの事件の”当事者”にならざるおえない、という感覚を描いてる。

 

冒頭、カヤがカメラに向かってペラペラ「ここは世界一安全な場所よ」なんて前振りを話始めた時はどうしようかと思ったけど、そこから友人との座談会になり、遠くで物音がし始める。

何かが弾けたような、”ポン”と”ボン”の間のような音が少しずつ近づいてくる。

爆竹?でもダンスも中止になったし…。と考えていると、森の奥から何人ものキャンプ仲間が走ってくる。

そして、誰かが「建物に入って」と叫びながら皆を誘導し始める。

連れられるがまま自分も建物に入ると、さっきの音が次第に鮮明になり、銃声だと理解する。

しかもその音は、どんどん近づいてくる。そして、悲鳴も次第に近づいてくる。

誰が?本物?妹は?

頭の中を搔き乱すような不安と、それを煽る銃声。

そして建物のどこかがこじ開けられる音が…。

 

ここの演出から、もう過呼吸気味になるほどの緊張感が襲い始める。そして、観客は映画を”観る”から現場を”見ている”感覚になる…。

 

 

 

この映画を観た後、大きな音にビクっとしてしまう。それぐらい、音が凄い。

これは映画館でしか味わえないと思うけど、どこからか聞こえる悲鳴も、誰かが走り回る足音も、そして断続的に聞こえる銃声も、生き残るためには必要な要素であり、それを耳だけでなく五感で感じようとしてしまう。どこから聞こえるのか、何の音なのか。聞きたくない音なのに、それを頼りにしてしまう。

”音”という要素が、”見ている”という感覚を際立たせる。

これに関してはどれだけ文面で説明してもしきれないんですよね…。

 

 

 

ワンカット

この映画を”見ている”感覚にしているもう1つの要素がワンカット。事件が起きた72分間をワンカットで描くことで臨場感を高めてる…。けど、ワンカットってやり過ぎると嘘っぽく見えやすいとも思うんです。それを逆手に取ったのが「カメラを止めるな!」でしたが。

なぜ嘘っぽく見えてしまうのか。それは、カメラマンを意識してしまうから。POV映画といえば「クローバーフィールド」でもそうでしたが、カメラを意識した演出をしてしまうんですよね。例えば、怪物をわざわざ写したり、米軍の攻撃をわざわざ間近で見せたり。

でもこの映画は、その真逆をしてる。犯人は全編通してシルエット、それも犯人かキャンプ仲間かわらないぐらいにしか見せない。銃声が聞こえて隠れる時は、カメラも地面に伏せて草や土まみれになって隠れるから何も見えない。重要な部分を見せないことで、この映画のワンカットは現実味を出せている。こういう、少しずつの演出が重なることで、今まで感じたことが無いくらいの感覚を味わうことになる。

 

 

最後に

正直、特に終盤のあの長いシーンはいるのか、とか言いたいことが無いわけじゃないけど、テロという最悪の事態を、映画というコンテンツが持てる全てを使って感じさせるという意味で、本作は絶対に”映画館で”観るべき作品だと感じました。また、重視するべきなのはこの映画がドキュメンタリーではない、ということ。架空の人物で、架空の物語で構成されており、最後には「真実は一つにあらず」と述べられる。

テロを繰り返さないために、テロを追体験する。この、チャレンジングな映画を、是非映画館で観てください。