「盲目のメロディ ~インド式殺人狂騒曲~」感想 ウソついたら、針千本飲~ます!

「盲目のメロディ ~インド式殺人狂騒曲~」

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人には見たくないモノがある。見たいモノもある。じゃあ自分が見るモノを選択出来たら…

そんな卑怯なウソから生じた新たなウソが次第に大きくなり、遂には殺人事件が起きてしまう。

 

設定の妙と脚本の“キメ”が最高に絶品な、傑作インド映画!!

 

 

 

 

 

 

 


目が見えない

盲目と偽った主人公が目の前で起きた殺人事件を告発できずに奔走する…こう聞くと単純な話のように思えますが、本作はそこから二転三転、さらには四転五転していく。まずこの見事な脚本が絶品なんですよね。後述しますが最初からラストまで、“ここだ!”という決め打ちのようなポイントがしっかり存在感を持って描かれている映画でした。
盲目という障がいをブラックなユーモアたっぷりに描かれる本作は、これまで私が見てきたようなインド映画とはかなり温度が異なり、“笑っていいのかわからない”絶妙なラインを付いてくる。それこそ序盤、アーカーシュが招かれた家にはその家の主人の死体が…のシーンはまさにブラックなユーモア全開で、盲目という嘘を絶対にバラせないアーカーシュと、物音を立てなければセーフと思って必死に死体の片づけをする犯人たち。まともな奴が一人もいないこの空間自体にとんでもなく笑いを誘われるんだけど、目の前で起きてるのは明らかに殺人事件というブラックさ。
後半の、アーカーシュが本当は目が見えているのかを確かめるためにシミーがスクリーム風のマスクをかぶって登場する場面とか、「笑ってはいけない盲目24時」になっていて、緊張感とユーモアの両方を孕んだ名場面でした。

 

 

 

 

 

 

 

認識

上記したようなブラックなユーモア含め、この映画で描かれるのは認識の違いなんです。耳、鼻、口、そして目であらゆるものを判断する時、その何れかを失ったというハンディキャップによって“相手は気づいているけど、自分は気づいてない。もしくは相手は気づいてないと思っているけど自分は気づいている”というような認識の違いを描き出している。そこには障がいを持つ人への同情や、まして悲愴的な描写はほとんどない。
これはもしかすれば、障がいを持つ人をバカにしているように聞こえるかもしれません。しかし、この映画での盲目の扱い方は、よくあるコメディ映画の要素と同じように扱っているという点が重要で、例えば学校が舞台の映画で主人公は冴えないオタク。こういう主人公の特徴の1つのように盲目を使っているんです。同情的に障がいを描き“障がい者=可哀そう”を押し付けるよりも本作は圧倒的に、障がいを持つ人を“生きた人間”として描けている。だから観客は、この特徴によって引き起こされる認識の違いを素直に楽しめる。

 

 

 

 

 


嘘つきは殺人の始まり

そんな認識の違いは、あらゆる嘘を引き起こしていく。アーカーシュはじめこの映画の登場人物はほとんど嘘つきしかいない。盲目も嘘だし、殺人犯は一番悲しそうに泣いてるし、障がい者を助けようとするのも嘘。皆自分のことだけ考えて嘘をつきまくる。この嘘に嘘を重ねる展開が、本当に面白い。脚本が後出しじゃんけん的にどんどん“あれも嘘でした”と言うようなダメダメなものならこういう映画って、どんどんどうでもよくなっていっちゃったり飽きちゃったりすると思うんです。正直、この映画の脚本全てが完璧だなんて思いません。正直、中盤は嘘に嘘を重ね過ぎて飽きちゃう感もありました。ですが、上記したような“ここだ!”というポイントでしっかりキメてくれるので、どんどん積み重ねられる嘘が次第に大きくなっていってもややこしくなることはないし、飽きてもちゃんと興味を巻き返してくれる。

 

 

 

 

盲目のウサギ

では散々言っているこの映画の“キメ”のポイントとはどこなのか。
この映画の最初は、野ウサギを撃とうとする農家からはじまる。そしてこのウサギは目をケガしていて盲目なんですよね。冒頭では、盲目のウサギを殺そうとしても殺せなかった農家から始まり、この映画はまさに“盲目の男を殺そうとするのに殺せない話”として展開していく。
さらに終盤、この冒頭での出来事が盲目のアーカーシュを助ける展開に。盲目のアーカーシュを、本当の意味で助けたのはこのウサギだけなんです。そしてこの場面でおそらくシミーは死にますが、これは盲目の者からの報復のようにも見える。劇中、最も盲目というハンディキャップを利用したであろうシミーは、盲目の者によって殺された。
このシーンは、冒頭ではこれからの話の暗示として、終盤ではアーカーシュが助かった+報復という、トリプルミーニングな面白さが加わっている。このシーンこそ本作随一のキメシーンだと思うんです。

 

 

 

ラスト

そんなキメシーンの後のエピローグ。完全に忘れかけてた元恋人(?)のソフィと再会したアーカーシュ。彼は、結局眼は直さなかったと話す。ここで、なるほどやっとアーカーシュは嘘をつかずに、自分の力でロンドンまで来て頑張ってるんだな!と感心させてくれる。
……と思った瞬間、夜道を歩くアーカーシュは目の前にあったジュース缶をステッキで吹っ飛ばす。ええええええ!?
そう、アーカーシュは今もなお、嘘をついてた。なんて野郎だ!!いやしかし、久しぶりにラスト1秒で映画にぶっ飛ばされましたよ。上記したような考察やら、劇中示された嘘や認識の違い、展開全てがグラついていくような、クラクラするようなラスト。まさに絶品としか言いようのないほど、見事な脚本でした。
こういう体験がしたいから映画館で映画を観るんだよ!!

 

 

 


最後に

いつものインド映画とは一味も二味も違う傑作でした。インドらしさはほとんどないけど、代わりに加わったブラックなユーモアセンスを堪能したい方は是非、是非映画館で鑑賞してください!!あのクソガキは許さん!


…多分、アーカーシュが語った“芸術家として成長するために盲目のフリしてたんだ”ってのも多分ウソですよね……w