「羊の木」感想

「羊の木」
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ヤバイ、ヤバ過ぎる。
この映画を見た後、誰もがもう誰を信じて誰を疑うべきなのかわからなくなると思うんですよね…。それほど、観てる最中ひっきりなしに疑心暗鬼にさせられる。
包丁を持って魚を捌くシーンも、子供と遊ぶシーンも、上司に叱られるシーンも、車を運転するシーンも…日常の何気ないシーンに異常なほどドキドキさせられ、不安にさせられる。何気ない映像なのに心の中では「やばいやばいやばいやばいって!!!」と叫んでしまう!!(でもこのドキドキ感が、なぜか癖になってしまうんですよね…w)
観た後、あまりの緊張感から解放されたことでなんだかお腹が痛くなってしまいました・・・w







6人、そして主人公が良い
まず主人公月末を演じる錦戸亮が良い!なんだろう、この”田舎の市役所にいそう”な感じはwキャラクターとして輝きすぎないけど、主人公としてのスター性はあるんですよねぇ
そんな月末を揺さぶる6人が本当に、全員違う意味で優しさと狂気を孕んでいてよかった!!
太田:危ない色気全開でヤバいとわかりつつ見てしまう魔性の女
大野:見た目から完全にカタギじゃない老人
栗本:虚ろな目をした会話不能な女
杉山:チンピラがそのまま大人になったような1番何かしでかしそうな男
福元:挙動不審だが良い人そうな性格を併せ持っているが何かに怯えてる男
宮腰:少し抜けているところがあるが人懐っこいミステリアスな男
(全員、序盤での見え方です)
しかもこの6人の性格が、冒頭の月末の「魚深、良いところですよ。人は良いし、魚は旨いし。」この定型文への回答ですぐに区別される。このセリフだけで冒頭の掴みはばっちりでした!!
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ここからネタバレあり!!!


のろろ様
この映画で随所に登場するのろろ様。多分のろろ様の解釈によって、この映画の解釈も人それぞれ違うんだと思います。
私は、のろろ様は「”死”を肯定する存在」なんだと感じました。のろろ様は村人を殺しまわった挙句、村人により1度殺されて神になった。”死”を受けた者であり”死”を与えた者でもあるんです。”死”を与えた者はもう終わりなんかじゃない。どこかに居場所があるはずだし、それを探究する人は、たとえ”死”を与えた者であっても救われる、かもしれない。
この村ではのろろ様は出来るだけ見てはいけない存在。しかし、いざのろろ様を見てみるとあっけないほど見た目はしょぼい。殺人犯は、人から目を背けられるかもしれない。それは見る側が恐怖に支配されてしまうから。でも、いざ目を当ててみると実は想像よりもはるかに”普通の人間”だとわかる。

これこそ、この映画のテーマの1つ。殺人を犯した人でも、居場所があるべき。殺人=終わりじゃない。殺人は決して許されてはならない行いだが、その罰を受けた人をそれ以上締め付けることもまた、許されないんじゃないだろうか…。
そして、この映画のエンディングテーマは「Death is not the End」。”死”を与えてしまったこと=終わり、じゃない。


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もう1つのテーマ
上記のテーマを感じつつ、この映画はもう1つのテーマもぶつけてくる。松田龍平演じる宮腰だ。彼は自分の本当の姿と月末たちの前での姿に混同していた。隠し切れない自分と、こうでありたい自分。彼の理想は月末だったのかもしれない。だからこそ、最後に月末と谷から飛び降りようとした。殺人犯の自分と理想の自分。どっちが正しいのか、彼は最後に知りたかった。
宮腰のように、変わろうとしても変われない人間もいる。そんな人間が目の前に現れたとき、どう行動出来るんだろう。月末のように、”友人”として話せるだろうか。”市局員”として話してしまうだろうか…。この映画では、上記した他人を信じてみようというテーマと一緒に、どこまで信じるべきなのかという問いを投げかけてくる。この2つのテーマを、どちらをどれだけ感じ取るかで人それぞれ見え方が違うんじゃないかなぁ…。



長々語ってきましたが、この映画、誰かと観に行って感想を言い合いたい映画だった!!誰か一緒に行こう!!!







(優香の歯ブラシのシーン、あれは反則…w)
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