「シェイプ オブ ウォーター」感想!! ネタバレ忠告あり

「シェイプ オブ ウォーター」(2D字幕)
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(このブログ内では、半魚人に見える者を”彼”と呼称しています)





究極の純愛
この映画、一言で表すとまさに”純愛”。純粋な愛を貫き通した2人のお話。
外野から見たらこの2人は異形で理解しがたいかもしれない。でも、なぜ外野が理解できる出来ないを気にしないといけないのか。そもそも、”愛”は決まった形のない、個々に託されたもののはずなのに…。まるで水のように。
2人の間では声が出せないことも、人間世界の常識をまだまだ知らないことも、どちらも欠点ではなく、長所なんです。声が出せないから彼と対話することができた。常識を知らないから彼女の本質を知ることができた。こんなに素晴らしい長所を、誰が欠点なんて言えるんだ!!
イライザも、彼もこれまでの”純愛”映画としては異例だと思うんです。イライザは社会のルールをきっちり守る人でもなければ、社会から大きく逸脱したわけでもない。彼も、見た目がかわいらしくもなければ人の指を噛みちぎったりもしちゃう。美男美女の恋愛映画とは大きく逸れた、けどそれが最後には”純愛”以外の何物にもみえない恋愛に見えるんです。この2人の”愛”が、まさかここまで愛おしくなるなんて思ってもみませんでした…。そしてそれを象徴するラストシーンは、もう落涙必死!!
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ストリックランドという存在
この映画で、2人の純愛とは真逆の存在がストリックランド。ストリックランドはトイレの後に手を洗わないのを自慢気に話すみたいな、悪い意味で”自分”という主張が強い。家族が典型的な”良さげ”な家族だったり、車も自分が好きでもない色の車を”上品げ”という理由だけで買ったりと、”自分”を良く見せるために必死。この外野を気にしたストリックランドと外野を気にしないイライザ。もしかしたら、恋愛映画の多くはストリックランドのような人間を主役に置いてきたかもしれない。美男美女で、いい車を買い、良い生活をしている。でも、それは本当に”幸福”なんだろうか。ストリックランドが唯一、外野を気にしないで続けたのが飴を食べ続けること。これ以外、どれも外野を気にした生活って、”良い”生活だけど、やっぱり”幸せ”とはいえないんじゃないかなぁ…
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話題になったモザイク処理
公開直前に話題になった、日本版独自のモザイク処理。この処理によって、監督のメッセージを存分に浴びることができないと劇場に行かないと宣言する人も多々現れるような、炎上を見せています。
けど私は、これはそのシーンが規制のための処理(なのかもしれませんがw)とは思えなかったんですよね。
上記したような、イライザとストリックランドの対比。この対比が1番大きく表れたのが”セックス”という行動。問題のモザイク処理は、ストリックランドのセックスシーンにのみ施され、イライザのヌードシーンや自慰をするシーンは一切処理はされていないんです。これは、イライザと彼のセックスシーンや、イライザの自慰行為は決してAV的なセックスや性とは違う、愛を確かめるための行動なのに対して、ストリックランドのセックスは快楽を味わうためだけのAV的セックス。アメリカではAVにモザイク処理がないので処理は要りませんが、日本のAVには局部にモザイクを施す。ストリックランドのシーンにモザイクをかけたのは、AV的なセックスシーンであると日本人にわかりやすく表すためだったのではないでしょうか。


ここからラストのネタバレがあります!





ラスト
もうね、ラストが最高にエモーショナルでした!!
瀕死のイライザと彼が水中で抱き合い、彼の不思議な力でイライザを治す。ここ、普通の映画ならイライザの声も戻って「ありがとう!(からの抱擁)」でハッピーエンド。またはイライザは陸に戻り「さようなら…」というエンド。
いやいや、なんだその終わり方!…と、この映画を見た人なら思うはずw
イライザと彼の関係で声は必要ないし、むしろ陸で暮らすことも必要ない。必要なのは、2人が共に、永遠に過ごせる環境だけ。だからこそ、最後は声が戻るのではなくエラになるんですよ!!!もう最高かよ!!!


まぁ、1つ気になったのはストリックランドがイライザを口説くシーン。ここ、必要!?



長々語りましたが、そこらの恋愛映画をもう見れなくなるぐらいの傑作なので、是非観に行ってください!見る相手によっては、気まずい関係になってしまうかもですが…w