「KCIA 南山の部長たち」感想 彼が殺したのは大統領なのか、それともただの上司なのか。

KCIA 南山の部長たち」

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あらすじ

1979年10月26日、パク大統領が暗殺された。

かつて韓国の南山には、韓国中央情報部(KCIA)が存在した。突如起きたこの暗殺事件の犯人は、巨大な権力が集中する組織KCIAを束ねるキム・ギュピョン部長だった。事件の発端は、40日前にKCIA元部長がアメリカ合衆下院議会聴聞会にて、韓国国内における大統領の腐敗について告発したことから始まっていた…。

予告→

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大統領暗殺事件

この映画のモデルとなったのが、1979年に起き朴正煕暗殺事件。この主犯格が本作でイ・ビョンホンが演じてた大韓民国中央情報部部長キム・ギュピョン。この映画は事実を元にしたフィクションとは言っていますが、明確に実在の組織や事件が扱われることもありその本質はやは朴正煕暗殺事件の映画化なんですよね。数十年前に実際に起きた大統領暗殺事件を映画化する韓国映画業界のチャレンジングな姿勢には本当に感心してしまいます。日本では2019年に公開した「国家が破産する日」と同様に、自国の闇の歴史、それも現代にもその事件について賛否が別れている案件を映画化するのって日本ではまだまだ出来ないグレーな部分であるし、しかしそのグレーに突き進む姿勢こそが映画という巨大な娯楽コンテンンツを押し広げて来た由縁だとも思うんです。今の日本映画に足りない姿勢を見せられたような気がする作品でした。

 

 

 

ヤクザ映画

そんな国家を揺るがす大事件を描いた本作は、驚くほどヤクザ映画的なんですよね。大統領という頭の命令に従わざるおえない主人公キム部長とクァク室長という若頭がぶつかり合う様相は、明らかにヤクザ映画、マフィア映画を意識した作りになっているんです。仮にも国家というパブリックな組織を描く上で、裏切りや跡目争いと言ったノワールな展開を盛り込むことで政治的な思想ではなく彼らのパーソナルな部分にこそフォーカスを当てている。劇中の「人には人格というものがあり、国家にも”格”というものがある。」というセリフが象徴するように、韓国というファミリーの格を下げてしまいかねない原因である現行の体制に反抗するために、暴力という手段を使ってでも立ち上がらなければならなかった漢の話として、大統領暗殺を描いているんです。

 

 

 

 

サラリーマン映画

この映画が見せるもう1つの描き方が、サラリーマン的な物語。腹の立つ同僚に無責任な上司に囲まれた環境で、意地悪なことをされながらも「仕事だから…」とうだつの上がらない毎日を過ごす会社員のような展開が繰り返され、そこから溢れ出る怒りや憎しみがピークに達した時に訪れる最後の瞬間。前述した国を守るという大きな目的のためではなく、この事件は究極に個人的な復讐劇でもあるというのが本作の描き方で、そこをはっきりさせないんです。ムカつく上司を前に銃を片手に暴れてやりたい…という会社員がきっと毎日しているんじゃないかという妄想を具現化したようなラストの襲撃シーンは、ワンカットで史実通りのミスや手違いが連発することで生じる異常なリアリティと身近に感じられるキュートさを帯びている名シーンで、特に「貴様が死ね。」と言い放つシーンは最高なんです。

 

 

 

 

人間を殺すということ

キム部長は、国のために大統領を殺したのか。それとも個人的な憎しみで上司を殺したのか。本作では、言葉では限りなく国のためとしつつもキム部長が時折見せる表情や間の取り方、吐き捨てるセリフに到るまでどこか憎しみを感じさせてくるんです。大義のためかもしれないし、自分のためかもしれない。そんな曖昧な答えを提示した上でこの映画は史実通り、キム部長に対して「南山へ向かうか、陸軍本部へ向かうか」を問われた時に彼が言う答えとその時見せる表情は、彼が大統領を殺したわけでも、上司を殺したわけでもないと言う事が滲み出ている。彼は1人の”人間”を殺したんです。人を殺すと言う事が何を変えてしまうのかを観客に突きつけるこのエピローグのシーンが持つ深い後味は、鑑賞後もずっと観客の心に残り続けることは間違いなし。

 

 

最後に

国家を揺るがす大事件をイ・ビョンホンの抑えた演技で見せる本作は、韓国の歴史を知らなくても十分に楽しめる作品になっていると思います。ぜひ映画館でこの渋めの傑作を味わってみてください。