「ジョーカー」感想 彼の不幸な人生と奇妙なジョークは、観客をあらぬ方向に扇動していく…。

「ジョーカー(2D字幕)」

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この映画を観たあなたは、もうジョーカーから逃れられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サクセスストーリー

ジョーカーといえばバットマンの敵役としてあまりに有名で、これまでも何度も映画化されてきた。しかしそれはどれも狂った敵役としての登場であり、彼の素性について語った作品はなかった。そんな中で生まれたのが本作。

本作は格差社会や人々の意識という問題を、ジョーカーという器に落とし込むことで見事に社会性も踏まえたエンタメ作品になっている。この映画は、わかりやすくサクセスストーリーなんです。

どん底まで落ちた男アーサーが、どん底に落ちたからこそ見えてくるゴッサムなりの”成功”を収めていく。障害持ちで周囲の目に抑圧されてきたアーサーは、ゴッサムという周囲の目に認められていく。

 

 

 

 

笑え

不幸が度重なるアーサーは、周囲とは異なる場面で突然笑いだすことがある。不特定多数に笑いまくっているように見えるこの”笑い”だけど、彼は明確にルールを持って自覚的に笑い続けている。彼が笑うのは、笑っていないと正気でいられないような出来事に直面した時。それは彼が障害をもつきっかけとなった母からの虐待に由来していて、考えれば考えるほど正気が薄れていくような出来事を、考えないようにするために彼は笑う。例えば、バスで子供に変顔をしているとその子の母親から「この子に構わないで!」と言われてしまう。この時アーサーの中で、周囲からの目や母親に対するいら立ち、自分の後悔など様々な感情が交差し始める。そしてそれがパンク状態になって、笑ってしまう。

それは彼のギャグセンスにも影響していて、彼が面白いと思う小話(例えば”酔っ払いに息子が轢かれた話”)はどれも凄惨で決して手放しでは笑えないエピソード。でも、彼にとってはそんな凄惨な出来事こそ、”笑える”エピソードなんです。

 

 

 

狂気に惹かれる

この映画を観た人の多くは、ゴッサムの市民と同じように彼に惹かれ始めてしまう。それはなぜか。それは彼が貧困や差別を超えた、人と関わるうえで生まれてしまう”狂いたい”という欲望の具現化だから。人と関わる、感情のある人である以上、常に周りに意識をはってしまう。そして周りに合わせて、浮かないように生きてしまう。だからこそ、腹立つことがあっても、しんどいことがあっても絶対に出来ない行動こそが”狂う”こと。

抑圧されているからこそ、誰もが狂いたい。誰もが自分の意見を叫びたい。自分の思うがままに他人に影響を与えたい。誰かに迷惑をかけたい。

それを、笑いながら目的も無しにやってのけてしまう彼に、僕達は憧れてしまう。そこには貧富や立場なんて関係ない。ゴッサムの市民だって、両親が殺されたブルースウェインだって、狂う欲望に満ち溢れている。

この映画は、観客の人生経験に沿った映画ではなく、観客の人生のその先に行きつくかもしれない、行きつきたいと思っているであろうゴールに、アーサーがたどり着く。だからこれだけ狂った男に共感してしまうんです。

 

 

 

 

 

ジョーク

理不尽な暴力、父親の不在、母親の虐待、彼女という妄想。あらゆる不幸を経験したアーサーが、遂にジョーカーとして覚醒する。

そしてラスト、彼は精神科医(?)の尋問を受けて、「なぜ笑ってるの?」と問われると「あんたにはわからんよ」という。

このラストには様々な考察があると思うですが、私はこここそが現実世界でのお話なんじゃないかと思うんです。ここまで観客が観てきたジョーカー誕生譚は、彼なりのジョーク。この映画の物語は、劇中で彼が話すジョークのギャグセンスと同じような構成なんです。さらに、劇中中盤で彼が精神病院に監禁されたエピソードは、ブサイクなほどすっ飛ばされる。

 

ではなぜ、彼は作り話のようなジョークを見せたのか。そこで重要なのが、彼が最も得意とし、最も好んで用いる戦法が人の感情を扇動するということ。このジョークを観た僕たち観客の心の中には、鑑賞前には芽生える事さえなかった”狂ったサクセスストーリーの肯定”を経験してしまった。それはもう、取り返しのつかない病原菌のようなもので、この経験はあらゆる場所に広がっていく。ゴッサムの街にゴミが溜まり、ネズミが蔓延るように、ジョーカーのジョークは世界中に蔓延し、賞を取り、映画というコンテンツに名を刻んでいく。

 

ジョーカーという狂人を、肯定するように扇動する。多かれ少なかれ、この映画によって人々はジョーカーという存在を知ってしまった。

もう、後戻りはできない。それこそがジョーカーの思惑。

 

 

 

 

最後に

十人十色、様々な考察の残るラストを含め、ジョーカーという最高のヴィランに対して最高の誕生譚だったと思います。是非映画館で鑑賞して、狂気に触れてみて下さい!