「ハウス・ジャック・ビルト」感想!!映画作品における”殺人”と”規制”。そのせめぎ合いを描いた傑作!!

「ハウス・ジャック・ビルト」

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18歳以下の方はご遠慮下さい!

信じられないほどにえげつない残虐描写とそれを彩るストーリーは、観客を倫理観とはかけ離れた次元へと陥れてしまう…。この作品の放つ異臭は、見事な不快感と求心力を持っていた!!

 

※私は勿論、本ブログでは殺人を始めとした犯罪行為を擁護する意志は一切ありません。

 

本日のお品書き

 

 

 

 

殺人

宣伝での大きく取り上げられている、この映画の残虐描写。5つのシーケンスに分けられた殺人シーンは、どれも秀逸で155分という上映時間を全く感じさせない。

1件目、車がパンクした女が、主人公ジャックに執拗に助けを求めてくる。この女が、まさに”若いころから顔を武器に人から助けてもらってた”感バリバリなんですよねぇ。ちょっと失礼な事を言っても、笑顔を見せとけば大抵の男は誤魔化せるんだよねぇ~と言わんばかりにがんがん失言してくる。これに対してジャックはイラつくし、観客もイラついてきたところで、ジャックは彼女の顔面にジャッキを叩きこむ。正直、ここはかなりスッキリするんですよね。倫理的に間違っているのは勿論わかるんですけど、ジャックに共感できる部分が多いというか。

2件目、街に住む女の話。ジャックが目を付けた女の家に入ろうと、ちょっと笑えるぐらい必死に言い訳して、なんとか入らせてもらう。すると、ジャックの顔が一変して女に怒号を浴びせ、首を絞め殺してしまう。コメディなシーンから突如、人殺しのシーンに。でもここも、なかなか家に入れてくれない女に観客は若干イライラしていたから、どこかジャックに共感してしまう。その後の潔癖症シーンも相まって。

3件目、家族?の話。馴れ初めはわからないけど、家族らしいものを持ったジャック。父親らしくライフルの使い方を教え、子供たちへの教育や遊び心も忘れない良いパパ……かと思った次のシーンでは、母親と子供2人が木陰で伏せて身を寄せ合っている。そこに銃弾を叩きこむジャック。意味が全く理解できないこの行動に、度肝を抜かれること間違いなし。さらに、鹿を殺すように子供を撃ち、さらに母親に死んだ子供にご飯を食べさせ、そして母親も殺す。この映画中、最も倫理観の狂ったこのシーンは、一切の共感を受け付けない…。

4件目、バカな恋人の話。ギャルっぽい女との、どこか変な関係のジャック。女の胸が見えた瞬間、観客の誰もが”良いおっぱいだ…”と思うと同時に”あ、これおっぱいが……”と察してしまう。結局、ギャルの叫び声なんて誰も気にも留めずに、女は殺されてしまう。

5件目、団子のように殺す話は、もはや倫理観なんて置き去りのとんでもない展開に。脳みそがマヒした状態なので、この頭を並べて撃とうとするシーンは、正直被害者に同情出来なくなってしまっている。変態なジャックの、最後の猛進をなぜか応援してしまう。

 

 

 

 

倫理観

この映画は、上記した5件の殺人事件を順当に見せていくことで、観客の倫理観を少しずつ崩していく。最初は共感させつつ、どんどん共感できるできないに関係なく、ジャックの行動への興味を湧かせることで倫理観が崩れていく。よくある殺人モノのような”快楽”で人を殺す狂人ではなく、ジャックは”自分のアイデンティティ”のために人を殺す。人の奥底に眠るとんでもない衝動は、快楽主義なのかもしれないし、悪い事に対する興味なのかもしれないし、自分を表すものだからなのかもしれない。ジャックの、あまりに身勝手だけど(彼の人生にとって)筋の通った殺人衝動は、この衝動が十人十色な理由で眠っているということに気づかされる。自分も、ジャックのような衝動に駆られるかもしれない。そう考えながら、この映画を観る事でヒヤヒヤしつつも、どこかワクワクしてしまう、まさに倫理観のぶっ壊れた鑑賞に進んでいく。

 

 

 

 

作品と規制

この映画で語られるのは、芸術と殺人。ジャックは自分の美的センスを発揮するために、人を殺しては写真を撮り、作品を作り出す。彼の行為は、当たり前のように最低だけど、それから出来上がる作品は、なぜか魅力さえ感じてしまう求心力がある。1件目の女に関してはスッキリするし、2件目の終盤、引きずられた死体によって道路に付けられた血のラインや、3件目のラストの上空から見た死体写真、4件目のおっぱい財布に5件目の死体の家。どれも、言葉には表せない魅力を持ってしまっている。しかもこれは、”死”というロジックがあるからこそ輝く。絶対にいけないとわかっていても、いやわかっているからこそ、ジャックの作品はあまりに魅力的。

しかし彼のような作品を現実に作ることは勿論、法律で規制されている。でももし、法律か何かで”死”というものを完全に抑圧できたとしたら、この作品のような魅力を受け取ることは出来たんだろうか。芸術、作品は、規制という抑圧の外で爆発することがある。それを恐れて挑戦しないことは、芸術を、映画作品の多様性さえ殺してしまうんじゃないだろうか。正しい、正しくないを超えた魅力の是非を、この映画では観客に叩きつけている。

 

 

最後に

鑑賞中は、自分の倫理観が破たんしていきどんどんジャックの行動の先が気になってしまう背徳感でぐいぐい見せられ、鑑賞後は何度も何度も反芻して”なぜこんな映画が出来たのか”を考えてしまう、一度で二度美味しい映画でした。

ラストの地獄めぐりは正直ちょっと長く感じたけど、映画の殺人シーンに対して感じる、不思議な感情を再考したい人は是非観るべき傑作でした。是非、映画館でご覧ください!!!