「トイ・ストーリー4」感想!!!俺がついてるぜ。時が流れても、変わらないものがある。
「トイ・ストーリー4」(2D吹替)
僕の幼少期を語る上でなくてはならない映画こそが「トイ・ストーリー」。
この映画を観たことでおもちゃへの価値観、もっといえばおもちゃで遊ぶ楽しさ、ワクワクが増したのは言うまでもなくて。
今でも手放せないおもちゃ、手放してしまったおもちゃ。全てに感謝したくなる。こんな素晴らしい価値観を与えてくれた、大傑作シリーズ。まさかの続編。
おもちゃの物語
突然ですが、この映画の1作目は僕が生まれる1年前に公開されました。続編となる「トイ・ストーリー」は僕が3歳の頃。リアルタイム世代ではないにしても、僕は何度も何度もVHSでこのシリーズを観て、おもちゃで遊ぶ時には、例えばSF的なごっこ遊びだったりファンタジー的なごっこ遊びと同格なぐらいの世界観を持ってトイストーリー的なごっこ遊びをしていました。多分、世界中の同世代がやってたんじゃないかなぁw
そんな僕にとってこのシリーズは、まさに”自分のおもちゃ”への感謝の映画なんですよね。これまで一緒に遊んでくれてありがとう。心底、そういう感情を植え付けられた映画。
なるべくして出来た蛇足
そんな映画シリーズである「トイ・ストーリー」は、3でかなり良い終わり方をするんですよね。おもちゃとして、受け継がれていく…という、おもちゃというモノの存在意義としては、大団円的な結末で、これで満足という人はかなり多かったと思いますし、私も同意見です。
そして本作が公開決定になった時、上記した人たちはみんな思ったはず。”蛇足になりそう…”と。
結論からいえば、この映画はかなり蛇足だと思います。「トイ・ストーリー」というお話が持つ軸が完全に変わってしまっているし、何より今までのキャラクターたちが完全に後退して、”おもちゃで遊ぶ”という概念自体をテーマに出来ていない感が否めない。
一方で、では否定派なのかと言われれば、私はかなり肯定派なんです。
「トイ・ストーリー」というシリーズは、これまで様々な形で”おもちゃ”という概念や生き方について定義してきました。そんな中で、誰もが見ないようにしていた面が2つあるんです。1つ目は、”おもちゃがなんで生きてるの?”問題。もう1つが、”幸せ(ゴール)が決められすぎ”問題。
”おもちゃがなんで生きてるの?”問題は終盤でサクっと述べられるのに対して、もう1つの”幸せ決められすぎ”問題こそが、本作のテーマ。でもこのテーマは完全におもちゃの物語の域を超えているし、トイストーリーである必然性が無いように見えてしまうのも事実。それでも本作を作ろうと思った理由には、「トイ・ストーリー」というシリーズが何年後、または何十年後、いうなればこの暗黙の了解を共有していない世代が見た時に絶対に疑問に思うであろうこの問題を扱いたかったから、そうすることでトイストーリーというシリーズが、よりメッセージ性の高いものになると考えたからだと思うんです。
ウッディ
本作の主人公は、やはりウッディ。そしてテーマもウッディ。彼は1作目からずっと、”おもちゃ=子供(持ち主)を幸せにする”という概念を根本的に持っていた。2作目にいたっては脊髄反射的にこの概念を持たないモノ=悪役とするほど、ウッディにはこの概念が深く植え付けられているんですよね。
そんな彼が、かつて愛したボーの変貌ぶりやギャビーギャビーの心の叫び、そしてフォーキーの成長を見る事で、おもちゃの在り方について考え直していく。そしてついに、おもちゃとしてではなく”ウッディ”として生きることを決意する。……この最後のシーン、CG、おもちゃとは思えないほど感情が伝わってくる、最高の名シーンだと思います…。
フォーキー=バズ 無限のかなたに
新キャラであるフォーキーは、かなり1作目のバズっぽいんですよね。自分を何者かと思っているモノに、おもちゃであるんだと教えてやるウッディ。1作目では、バズは自分をスペースレンジャーと思い込んでいたところに、自分の身の程を知らせていた。本作でも、フォーキーの新しい役割について、ウッディは何度も何度も説明する。けどそれは、自分の役割が揺らぎ、崩れつつある現実から逃避するために、(ボニーが最も大切にしている)フォーキーを守ることで自分の役割を作り出そうとしている。
ウッディによっておもちゃとしての役割を見つけつつあるフォーキーに、ウッディによっておもちゃとしての自覚を与えられたバズが「君に特別な任務を与えよう」と指示するんですよね。ここが、もう本当に泣きポイントでした。ああ、こいつは本当にウッディを信頼して、尊敬しているんだな……バズが1作目みたいになったという声もありますが、節々でこれまでウッディの役割だったことを、本作ではバズがやっているんです。そう、ボニーの部屋でのウッディは、バズなんです。そして、フォーキーもまた、最後に新しい仲間を前にウッディになり始めるんです。
俺がついてるぜ
ウッディにはこれまで、2つの役割がありました。1つはボニー、アンディの相棒。もう1つは、おもちゃのリーダーとしての役割。1作目では、1つ目の相棒としての役割が揺るがされることで、あの名曲が流れるんです。そう、「君はともだち」
https://www.youtube.com/watch?v=NIAiqU0ySNw
この曲の歌詞はウッディがアンディに向けた曲だったんですが、それが本作では全く異なる意味を持って流れる。それはウッディのもう1つの役割、全てのおもちゃたちのリーダーとしての意味。
どんなに辛い思いをしてもくじけちゃダメだよ、悩みを秘密にしちゃダメだよ、俺がついてるぜ。
そして、バズや仲間達に向けて
時が流れても絆は変わらない。いつも俺がいる。
「トイ・ストーリー」はこの曲にはじまり、この曲に終わると言っても過言ではないと思います。役割は変わっていくかもしれない。けど、この曲はいつまでも色んな意味を持ち続けるし、このシリーズも、ウッディも、色んな意味を持ち続ける。
最後に
賛否両論だと聞いた時は、「じゃあ批判的に見ちゃうかもなぁ」とか思っていたんですが、その時の自分をぶん殴ってやりたいぐらいの大傑作でした。これを、今の子供たちが見たらどう思うのかなぁ、楽しめるのかなぁ……とか思いながらも、こんな大傑作、僕らの幼少期の答えをありがとう。とピクサーには感謝しかありません。
ピクサーに、おもちゃに、ウッディに、ありがとう。