「ウィーアーリトルゾンビーズ」感想!!!何勝手に同情してんの?ダッサ。
「ウィーアーリトルゾンビーズ」
RPG×青春×悲劇=!?
映画的魔法に包まれる、奇妙でエキサイティングで、キャッチーで反芻出来る青春ゾンビ映画誕生!!!
本日のお品書き
小学生!?
私はいつも通り、地元の映画館に向かったんです。そして席を指定して、席に座る。しばらくすると騒がしい声が聞こえてきて、「あ、結構観客いるんだな」と思ったら、そこには8人ほどの小学生(中学生?)の集団が!!
予告からもわかる通り、小学生が面白がるような映画だとは思っていなかったので、正直めちゃくちゃびっくりしました…横のスクリーンで「アラジン」をやっていたので、間違えてるんじゃないかと真剣に心配になるぐらい。
8bit×会話劇
そんな、偏った年齢層と共に鑑賞した本作。
冒頭から、びっくりするぐらいゲームっぽい、キャッチーな演出が光る。親が死んだことを悲劇と思えず、感情のない会話劇と派手な8bit演出でどんどん見せられて行ってしまうんですよね。話の展開とか、そういう次元ではなく視覚で興味の持続をさせてしまうこの演出のおかげで、飽きずにずっと観てられました。
8bitな演出も、彼らの冷めた会話劇もですが、この映画のテンポはほとんど4コマ漫画、時には2コマ漫画ほどの早さなんですよね。「エモいねぇ」「ふっる」のように、食い気味に会話を終わらせてしまう。演出も、パッパと終わらせてダラダラ続けない。このテンポが、観ていて本当に気持ち良い!!けど、これは見ないと絶対に伝わらない…
We are little zombies
そんなテンポと演出が最も光るのは、やっぱり「We are little zombies」を演奏するシーン。ヒカリの持つゲーム機がビカビカ光り出し、ゴミ捨て場からゴテゴテカラフルでキャッチーな場所で、意味を過剰に持たせ過ぎずにサビは同じ言葉を繰り返すだけというキャッチーな歌。この、極限までキャッチーに演出したシーンは、他の映画では観たことないような目で満足できる飛んでもないシーン。
悲しまないの?
親が死んだ。というと、子供は泣き叫ぶ。そうなれないことで悩む4人。
しかし、そんな4人の感情をもてあそび、同情させることでバンドデビューさせてしまう大人たち。そして、それを聞いた大人達は勝手に彼らに同情していく。その中には、ヒカリの両親が乗っていたバスの運転手も含まれており、彼は同情によって死を迎えてしまう。彼らの気持ち、悲しみを勝手に同情していた大人達とは対照的に、4人はバンドが解散しても特に悲しみもしない。だって、「人の気持ちなんてわかるわけない」んだから。子供は、人から気持ちを強要されるんじゃなく、自分の感情をむき出しに出来るのに、それを大人から抑えられて強要される。自分達を感情のないゾンビだと思っていた子供たちは、実は同情ゾンビに囲まれてた。だから4人は悲しめないし、実感がわかない。同情という厄介な感情から抜け出そうとする4人の姿に共感して、ライブでは子供たちが駆け付けた。
そう、大人という厄介な同情ゾンビたちが、子供たちにも感情を感染させようとする。それにウンザリした子供たちにとって、4人のライブは自分の感情をむき出しにできる唯一の場所になっていた。
悲しまないんじゃない。悲しみを強要するんじゃねぇよ。
これは彼らの映画だ!!!
そんな本作の鑑賞後、気になるのは小学生(?)たちの感想。
リアルにこの渦中にいる彼らは、どう思うんだろう。同情なんて気にせず、どう思うんだろう…。
そんな彼らの感想は、「わからん。」でした。
親がいなくなるだったり、友達に過剰にいじめられたり。わかろうとしたって、わからない。彼らはきっと、これからそれを学んでいくし、同情していく。
私がもし、この映画を子供の頃に観ていたなら、どれだけ同情するようになってしまっても、この時感じた「わからん。」感情を忘れない大人になれたのかなぁ…と少し悲しくなっちゃいました…。
最後に
この映画、良くも悪くも監督のセンス抜群の映画で、それに合うか合わないかで評価が変わると思います。私はこの映画のテンポが大好きな人間なので大好きな映画になっちゃいました。同情ゾンビになるべからず!
何長々と語っちゃってんの?ダッサ。