「蜜蜂と遠雷」感想 蜜蜂は”蜜”の場所を知っている。

蜜蜂と遠雷

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天才とは何か。

それに気づいた時、本当の天才が誰だったのかが見えてくる。

 

ピアノという楽器が紡ぐ音符の羅列を、なぜ僕達は1つの”音楽”として認識するのかを描く、大傑作。

 

 

 

 

 

 

 

 

四人の天才

若手ピアニスト登竜門と言われる芳ヶ江国際ピアノコンクールに集う、4人の天才。

栄伝亜夜は母の死によるトラウマを抱えた元天才少女。彼女を演じた松岡茉優は、もう名人芸の域ともいえるほど。彼女の演技は喋らないほど映える。その無口な表現力が栄伝亜夜というキャラクターをとてつもなく精密に描いてきて、序盤では周囲の”かりそめの”祝福に会釈しきれない笑顔で、中盤の風間塵との連弾により開花したピアノへの情熱、終盤の自分にしか出来ないピアノを見つけた決意の表情。全てが緻密に計算されたような、それでいて自然なんです。月あかりを頼りにした風間塵との連弾シーンは、なんとも性的な、それでいて静的で動的な、言葉に表せない見事なシーン。しかもそれを、目配せだけで表現する松岡茉優の演技力。彼女自身の子役として歩んできた経歴も重なり、彼女の顛末を見届けたくなること必至。

2人目は生活者の音楽を突き詰める、年齢制限ギリギリの高島明石。自らを凡人と認識しながらも、それを乗り越える夢を追い続ける彼の姿に、彼を演じる松坂桃李の表情の豊かさが映える。家族の前や友人の前で、彼は常に笑顔で人当たり良く接しているけど、その内面には焦りと怒りがこみあげているのが見て取れるこの巧妙さ。後述しますが、個人的には彼こそこの映画のキーパーソンだと思っているので、彼からも目が離せませんでした。

3人目は幼き頃、栄伝亜夜と共にピアノを学び、完璧と個性で揺らぐマサル。彼は、”自分は出来る”という自信に満ち溢れていて、上の2人とは真逆の性質の天才。才能がある、と自覚的に努力するからこそ、彼はどんどん成長していく。しかし彼の成長は、自分が追い求めるコンポーザーピアニストとは少しズレているのも事実。自分の才能と完璧。どっちを選ぶのか、という天才ならではの苦悩。

4人目は謎の青年、風間塵。彼は父が養蜂をしているという点からも、この映画のタイトルの”蜜蜂”の存在。ピアノの神様曰く、彼は私達にギフトと災厄をもたらすらしい…。

 

 

コンクール審査員

そんな彼らを審査する審査委員長嵯峨三枝子率いる審査員たち。嵯峨三枝子は実はかつて天才少女と言われ辞め時を失った、キツイ言い方をすれば天才から一歩引いてしまった存在。彼女をはじめとして、審査員を務めるのはそんな”天才になれなかった者”。だから彼らは天才を追い求めている。

 

 

 

蜜蜂と遠雷

遂にコンクール本線出場者、審査員に風間塵のギフトが送られていく。彼の演奏する音楽には、独創性、ユーモアが散りばめられていて、そこに見えてくるのは”世界”。世界が鳴っている。世界を鳴らす。風間塵はピアノを通して、音符を積み重ねることで、自分の”世界”を魅せることが出来る。ピアノの技術のその先に必要な、天才になるために必要な要素こそ、世界を生み出す独創性。彼の音楽に魅せられた出場者は、自らの目指すべき道を受け取り、さらに審査員は自らが評価すべき観点を受け取る。

そういう意味で、彼は蜜蜂なんです。蜜の場所を見つけたミツバチは、自分の巣で八の字にダンスすることで、蜜の場所を仲間に知らせる習性をもつ。羽音を鳴らし、動き回ることで、自分の得たものを分け与える。蜜蜂によって、ようやく我々は”天才”という蜜の場所を知ることができた。

 

そして劇中にはもう1人、自分の世界を表現できる出演者がいた。その人こそ、予選落ちした高島明石。

 

 

 

 

 

 

世界は音楽に溢れている

高島明石は自分を凡人代表として、生活者として出場している。しかし彼こそ、天才なんです。彼は蜜蜂に蜜の場所を教えてもらうのではなく、蜜の場所を教えられるもう1人の蜜蜂だった。

彼の弾くピアノは、妻を持ち、仕事に励む生活を持つ者ゆえの音楽。そしてそこには、彼自身の世界を如何に誰にでもわかりやすく伝えるかの工夫がされていた。それこそ、人々に”世界”を魅せる技術の神髄。この映画の主役は3人の天才と1人の凡人ではなく、2人の天才と2人の新たなる天才なんです。

ギフトを受け取る前に評価を受けたことで予選落ちした彼だけど、彼こそ天才としての道に最も近しい。今後が最も楽しみなのが、大会出場者で最年長だった。

 

 

 

 

最後に

”天才”とは何か。その定義を見つけられる傑作でした。4人の、演技力という”世界”においての天才たちが魅せるピアノ合戦を、是非映画館で堪能してください!