「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」感想!!日本屈指のCG技術と日本屈指の名作を装備し、日本中の期待に立ち向うんだ!!……おお!しんでしまうとは なにごとだ。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」

 

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ドラクエというコンテンツが作り出してきた時代。そんな、エンターテイメントの金字塔が遂に映画化!!

美麗なCGとシリーズの傑作という武器を装備し、さぁ冒険に出かけるんだ!!!

 

……おお ! しんでしまうとは なにごとだ。

 

 

 

 

 

ドラゴンクエスト

”ファンタジーと聞いて、何を思い浮かべるか。色んなものがあると思うけど、多くの人の脳裏に”ドラゴンクエスト”が浮かんでくるはず。ドラゴンクエストという作品群が生み出した時代は、それ抜きでは語れないほどの影響力とエンタメ性を秘めている。その中でも、本作の原案である”ドラゴンクエストV”は話のタネになりやすい、ファンも多い名作。

予告の段階では、ドラゴンクエストといえばこの曲!というメインテーマに乗せて広がっていくドラクエの世界観に、みんなが熱狂したシリーズの中でも傑作の復活、さらに美麗なCGによるリアルで可愛い映像。そのすべてにワクワクさせられてしまいました。ドラクエが、遂に映画になる。それが、楽しみで楽しみで。

 

 

 

美麗なCG技術

予告通り、本作の魅力は美麗なCG。目を見張るようなリアルだけど世界観を保ったCGのキャラクターたちが、縦横無尽に動き回る。フサフサな質感も、ツルツルな質感も、ヌルヌルするような質感も伝わってくるような丁寧なCGに、ドラクエというエンターテイメントが彩られている。

質感も勿論凄いんだけど、それよりも驚いたのが表情の豊かさでした。人間の顔の表情はもちろん、スラりんやゲレゲレたちの表情まで、本当にぐりぐり変わる。この、表情の切り替えがあるだけでも、ドラゴンクエストという声のないシリーズの物語性を飛躍的に濃くしていると思う。

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いつ盛り上がるの?

…と、ここまでで本作の魅力を語ってきましたが、本作に批判的な人が多いのも事実。それは、後述するラストの展開を踏まえている人が多いと思うけど、正直そこまでの展開も、残念な点が目に余ると思う。

まずは物語。この映画は、終盤までは一応ドラクエVに沿って話が進むんだけど、そのテンポがあまりに早すぎる。そもそも原作が三世代にわたる話で、そこが魅力な作品なんだからそれを映画1本に纏めるのは至難の業なのに、上映時間103分という短さ。なぜそんなことが出来てしまうのかというと、本作は物凄くテンポが早い。必要なシーン以外の、いわゆる冒険シーンなどはどんどん飛ばす。パパスの死、魔王城からの脱出、ヒロインとの出会い、ラスボスとの対峙。この必要な4つの要素以外は、全く考えていない。だからこの映画は原作をプレイ済みの人にとっては理解できるけど、原作をやったことがない人にとってはかなり難解だと思う。しかしそれ以上に問題なのが、このとにかく削ぐ作業によって、どんどんドラクエ感”が失われてしまうこと。ドラゴンクエストは、魅力的なキャラクターやその関係性、さらに山場となる展開なども魅力だけど、それは”冒険”という軸があるからこそだと思う。冒険こそ、ドラゴンクエストというものに必要不可欠な要素。でも本作では、この冒険している感じが一切ない。適格な山場だけの映像を見せられて、あとはササっと早送りで飛ばしてしまう。そんな物語のテンポで誰がキャラクターに愛着が湧き、世界観にどっぷり浸かれるのか。さらに山場的要素を繋ぎ合わせただけのせいで抑揚がなくなり、”この映画、いつ盛り上がるんだろう”と疑問に思い続けてしまう。この映画はまず、起承転結という概念を取り入れなくてはいけなかった。

 

 

品のない演出

そしてそんな問題を吹っ飛ばすような問題点が、品のない演出の数々。特に気になったのが、ドラクエサウンドや序曲などの曲の使い方。ドラクエの序曲って、というか特徴的なテーマ曲のある名作や傑作って、その使いどころは物凄く重要だと思うんです。乱発すればいいってもんじゃないし、ギャグに使ったりなんてもってのほか。しかし本作は、この序曲を乱発しまくるし、使いどころがおかしい。まず冒頭、多分100人に聞いたら100人が、本作の開始直後に、例えばドラクエの世界観が広がって……上からタイトルロゴが出て序曲!みたいな、いわゆるドラクエシリーズのOPのような演出を期待していたと思うんです。けど本作ではまずドット絵、原作の冒頭から話が始まり、主人公が冒険を決意するまで序曲がかからない。そしてやっとかかった序曲は、冒険パートをスキップする意味しかない。そして中盤、主人公が天空の剣を引き抜こうとするときに、再び序曲が流れる。しかしここは、主人公は剣を抜けないという展開に合わせて序曲をギャグ的に使ってしまう。そりゃあ、終盤に天空の剣を引き抜くからその前振りだってのはわかるけど、こういう風にいちいち品がない。

私的に1番思い入れのある、スラりんが活躍する場面も、矢を掴んで向こう側に渡るという、スライムの使い方として微妙な使い方ではなく、それこそ「スライムもりもり」シリーズのオマージュとしてスラりんが伸びて向こう側へ!とかのほうがファンサービス的にも物語的にも面白かったと思う。

さらにさらに言えば、この映画のギャグセンスも品がない。例えば魔王城を脱出するために死体に扮するリュカとヘンリー。そんな2人が入った樽を怪しんだオークたちが蓋を開けると、ゾンビみたいな顔の2人!そして2人が塗りたくった糞尿の悪臭が!そこでオークが「うんこくっせー!」とか言うんです。……これ、面白い?

さらにさらにさらに言えば、ビアンカの胸だって、あんなに大きい意味がわからない。ビアンカの胸を強調することで、やっぱりキャラとしてブレちゃってるし、それより本作ではフローラが主人公と昔に面識がある、という要素を入れたために、フローラはビアンカよりも観客的には思い入れがあることになってしまっている。ドット絵でビアンカと一緒に冒険した場面は出ていたけど、やっぱり映像で見せられるのとは印象が違うよ。そこで、フローラよりもビアンカを選ぶあの演出も(あれはラストで回収されるけど)品がないし、何より気持ち悪い。なにあの「じこあんじ」の文字。

 

 

 

 

やっぱりダメだよそれは

そして、色んな人が言っている点としてはやはりラスト。多分、「レディ・プレイヤー1」的なオチを作りたかったんでしょうね。その議論はもうされ尽くしていると思うのでここでは控えますが、この時ドラクエって、もうこれで終わるの?」という印象を受けたんですよね。これはゲームだ、非現実だ。そんな悪役のメッセージに、ゲームだって大事だ!というメッセージ。あのさ、誰もドラクエを現実だとは思っていないし、だからこそロールプレイングゲームっていうんじゃないの?こんな、メタ構造なテーマを題してしまったら、もうドラクエという世界に入り込めなくなってしまうよ。エンターテイメントとして、ファンタジーとして、絶対に踏み入れてはいけない領域に、土足で入り込むラスト。

メタ表現は「勇者ヨシヒコ」シリーズでもやっていたんですよ。けど、あれはギャグにしても何にしても、ドラゴンクエストという軸に沿っていた。さらに言えば、彼ら4人だけはどんなことがあっても”ドラクエのキャラ”なんです。実はヨシヒコは山田孝之でしたーwwとか、ドラマ中に言及されても「え?知ってるよ?」としかならないんですよ。そんな、誰もが大前提としている部分に踏み込んで、「ユア・ストーリー」なんてサブタイトルまで付けてしまう始末。

 

 

現実も、非現実も

そんなラストで、レディプレよろしく現実と非現実の大切さを説く。これも、突然過ぎて、しかもその伝え方が間違いだらけでツッコミたくなるけど、このラストをもしするなら、例えばドラクエで紡がれた友人たちが、新作のドラクエによって再会する。とか、そういう風なラストにすれば、ドラクエが与えた影響や友情について言及できたと思う。(それが見たいかは別として)

そんなわけないと思うけど、もしこれを「ファンが絶対に号泣するラスト出来たぜぇ」なんて思いながら作ったなら、二度と傑作名作の映画化に携わらないで欲しい。同監督の「STAND BY ME ドラえもん」の時も思ったけど、彼は原作の抽出ポイントをよく勘違いするんだと思う。ドラえもんって、感動話だけが面白いの?感動話だけ紡げば面白くなるの?ドラクエって序曲流せば成り立つの?非現実を肯定すればハッピーエンドなの?

ビアンカかフローラなんて選んでる場合じゃない。一晩、考えてきて欲しい。

 

 

最後に

熱を帯びてしまって申し訳ありません。本作は、何も考えずに「わー、モンスターかわいー」ぐらいのスタンスで観るのがちょうどいいのかもしれません。

ちなみに、現在映画館は通常大人1900円ですが、スマートフォン版の「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」は1200円で販売中です。