「十二人の死にたい子どもたち」感想!彼らの”死にたい”のは嘘?本当?

「十二人の死にたい子どもたち」
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キャッチーな設定が光る、新年早々の話題作!!!
しかし言いたいことがないことも……・?



本日のお品書き
・宣伝って、大事ですね。
・圧倒的な存在感、新田真剣佑
・死にたい子どもたちはお喋り
・ミステリーな要素”十三人目”
・もう1つの要素、死にたい子どもたち
・最後に



宣伝って、大事ですね。
もうね、これはかなり言われてることだとは思うんですが、この映画の予告はひどい。何がひどいって、映画のジャンルが全然違うんだもの。予告だと「死にたい、けど、殺さないで!」とあたかも殺人鬼に殺されないようにどうこうするお話に聞こえるんですよね。でも、実際は十三人目を巡るミステリーものなんです。個人的には本作を元々、そこまで楽しみにしていたわけじゃなかったので肩透かし感はありませんでしたが、でもこのジャンル騙しは酷いとは思う。だって、観客層が全然違うし、これって公開してすぐは集客できるけど、すぐに客足が遠のくに決まってるよ…。

さらに、この映画の宣伝にはもう1つ言いたいことがある。それは、”謎の四人目”問題。
劇中でも、四人目は中盤までマスクで顔を隠してるんですよ。で、実は超人気女優(橋本環奈)という。正直この演出自体が”そんな演出いるかなぁ?”って感じだけど、劇中でサプライズ的に登場させるならやっぱり宣伝の段階では隠しておかないと。それも、最初の予告では隠していて、公開直前に橋本環奈でした!と明かしちゃうんですよね。あのさぁ、いや分かるよ。宣伝で大事なのは話題性だって。でも、これほど映画本編にプラスになっていない宣伝手法もなかなかないと思う。





圧倒的な存在感、新田真剣佑
この映画の最大の魅力なのが、シンジロウを演じた新田真剣佑。完全に主人公枠なんですが、正直この映画は彼の演技力でグイグイ持っていく。多少どうでもいい場面だったり不快な場面でも、新田真剣佑の圧倒的な存在感と包容力でお話が進んでしまうんですよね。こういう、全体をけん引してしまうような引力を持ってる俳優さんって、がっつり主人公顔だったり、ヒロイン顔だったりする人が多いと思うんですが、新田真剣佑の凄い所はそれを地味な演技でもやってのける。この映画、出演者の最高齢が25歳という驚異の若手キャスティングなんですが、そんな若い12人が集まってもちゃんと成り立ったのは、新田真剣佑この男のおかげですよ。





死にたい子どもたちはお喋り
この映画、12人も死にたいと思ってる子供が集まるから、登場人物がめちゃくちゃ喋る。1人1人が自分の過去や思いを語り、同時進行でミステリーについても語りつくす。ここでの、死にたい理由について若者たちが語り合うところこそが本作が最も描きたい部分だと思うんです。だから、12人が自分の感情をぶつけ合うシーンは、演技力に差があったり会話に違和感もあるけど、それでも面白いと感じられる。まだ大学生の私ですが、彼らの死にたい理由である、いじめや親に対する思いって、”若いなぁ”と感じるんですよね。(これがこの映画最大の問題点だと思うけど、それは後述します)この、意見のぶつけ合いって凄くエモーショナル。だけど普通は自分の意見を大声で叫んだりする人なんて居ないし違和感があるからなかなかダイレクトには出来ない演出だと思うけど、若者という前置きがあるだけでアリになる。
死にたい理由が様々な子どもたちが怒鳴り、叫びながら自分たちの気持ちを共有していく。このド直球の面白さは、あったんじゃないかなぁ。




ここからは本編の批判を多数含みます。読みたくない人は読まないで!





ミステリーな要素”十三人目”
この映画は、死にたい子どもたちの会話劇という要素と謎の十三人目をめぐるミステリー要素で構成されているんですよね。
もう、はっきり言って、このミステリー要素、無いほうが絶対良かった。
本作が伝えたいメッセージって、”生きたい”と思う気持ちが向くべき方向だと思うんです。過去じゃなく、未来に期待してみようよ、って。でも、このメッセージにこの十三人目が一切絡んでない。十三人目が死んでるなら、過去を見て死を選んだ子どもと、死を目の当たりにして意思が変わる者、変わらない者が入り乱れる会話劇としてもミステリーとしても盛り上がったと思うんです。
しかし、まず彼らが十三人目に無関心過ぎる。目の前で人が死んでるんですよ?12人の中には、死人を見たことがある人もいましたが、見たことない人が大半。中には人を殺して、そのトラウマを抱えた人もいるんですよね?じゃあもっと、彼の死について触れてくれないと。なぜかこの映画は、十三人目が”なぜここにいるのか”だけに焦点を当ててるんですよね。
そして、その”なぜここにいるのか”のミステリーも、茶番過ぎる。伏線の回収が見事!って人もいるけど、個人的にはこれは伏線回収とは言わないと思うんですよ。伏線って、それ単体では気にならない、または別の意味があるようなシーンが、後々活きてくるから意味があると思う。本作みたいに、意味深に要素を羅列して、それが後々”実はこうでした”と回収されても、それは伏線回収じゃないんですよ。答え合わせなんですよ。もちろん、ミステリーに答え合わせは大事だよ。でも、せっかく映画という、2時間の”映像”で魅せるコンテンツなんですよ。だったら、要素を単純に見せるんじゃなく、会話や動作、表情や演出を使って伏線をみせて下さいよ。
そしてそのトリックも、小説だと上手くいく方法だと思うんです。小説なら、「1階から6階へ○○を運び出し、また1階へ戻った」みたいな短い文で書ける展開も、映像になるとエレベーターで登ったり降りたりまた登ったりと、まさに劇中のシンジロウの「彼は上に昇ったり下に降りたり、大変でしたねぇ」なんですよ。映像にしたことで違和感を感じてこのセリフを言わせたなら、なんでトリック自体を脚色しないのさ!!!

あと、あのオチはもうコントだよ…。






もう1つの要素、死にたい子どもたち
この映画のもう1つの要素、こっちこそがお話の軸じゃなきゃいけない要素が死にたい子どもたちによる会話劇。上記した通り、これも十三人目を使ってもっと盛り上げられたと思うんですよ。
本当の死に直面して、密室に集められた十二人それぞれが、自分の過去を語り、そして共有し、死にたい感情と死にたくない感情がぶつかりあって、時にはもう死んでしまおうとまで話が展開するけど、それでも、そんな中から生きる意味を見出し、共有し、決意をする。
こういう会話劇なら、もっと面白かったはずだし、もっとメッセージを伝えられたと思うんですよね。せっかく、密室で賛成反対を集計するというルールがあるんだから、それを活かした会話劇にして欲しかった。反対意見も、”この中に殺人鬼がいるのに死ねるか!”じゃなくて、生きる意味に気づき始めたからこその反対意見、そしてその意見に対する死ぬ意味を促す賛成意見をぶつけられるじゃないですか。あとね、密室っていいながらガンガン外に出すぎだよ。なんで喫煙所とかあるのさ。
そして、ラストに新田真剣佑が語るド直球のメッセージ。ここ、彼がの演技力のおかげで良い感じになってるけど、それでもやっぱり納得いかないよ。十二人の死にたい理由や、それに対する各々の態度がどうしても”本当に死にたいと思ってる?”と問いたくなる。精神的に不安的な人もいるのに、ほぼ全員がかなり活発的に発言するし、自分の死にたい理由をベラベラすぐ語るし、でも死にたい理由はしっかりとは語らないから全然死にたいように見えないんですよね。例えば、いじめにあっていたなら”きつめのいじめにあっててさ。”みたいなサラっとした物言いじゃなくて”○○されたり、××されたり、酷い時には△△されたんだ。”と順序立てて説明すればもっと感情移入できただろうし、病気が理由って意味ではギャルのユキの理由がヘルペスっていうのでそれがよくわからないギャグ要素っぽく扱われていたけど、彼女の本当の死にたい理由は”おっさんに無理矢理そういう行為に及ばれたから”であって、それを隠すためにヘルペスを理由にしてるんだ、というような後付けの設定があれば、もっと感情移入出来たと思うんです。彼らが”死にたい”と見せることができなかった。これが本作最大の失敗ですよ。






最後に
批判垂れ垂れで失礼しました。それ以外にも、吃音を舐めてるだったり、色々言いたいことはあるんですけど、ここらでやめておきます。
この映画を観た後、生きる意味ってなんだろう、と考えてみたんですよね。新田真剣佑が語ったような理由もあるかもしれない。けど、もっと単純な理由だとも思うんです。”お!ラッキー!”とちょっと思えるような小さな幸せを楽しむことが出来るか、それこそが生きるという大きな動機に繋がる。コントだけど、インパルスの「インターネット自殺」というコントがあるんです。インターネットで知り合った死にたい2人のうち1人(板倉)に「巨乳のAV女優と合コン中!お前も来いよ!」とメールが届き、死にたいと思ってるもう1人(堤下)に対して生きたい(行きたい)と思ってる板倉がどうにか合コンに行こうとする、っていう内容。すっごい面白いんだけど、このオチがまさにこういうことなんですよね。吉本の公式から動画がYouTubeにアップされているので、是非→https://www.youtube.com/watch?v=u5D0LtOhVMM