「ミスター・ガラス」感想!!!彼らの能力は”ヒーロー”なのか、”異常”なのか。

「ミスター・ガラス」(2D字幕)
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超個性的な3人が集う、同じく超個性的なヒーロー映画!!!



本日のお品書き
・「アンブレイカブル」、「スプリット」、そして「ミスターガラス」
・不死身そして悪を見破る男、デヴィッド・ダン”監視者”
・24の人格を持つ男、ケヴィン”ビースト”
・天才的な頭脳と脆骨を持つ男、イライジャ”ミスター・ガラス”
現実世界での”彼ら”



アンブレイカブル」、「スプリット」、そして「ミスターガラス」
本作はシリーズものとしての3作目。でも、過去2作は「スプリット」のラスト以外にはほとんどつながりが無かったんですよね。「アンブレイカブル」、「スプリット」は単体でも最高に面白い傑作だったんですが、本作を観るとこの過去2作の見方が変わってしまう。どちらも、ヒーローが誕生する序章であり、言ってしまえば過去編みたいなものだと感じられるんです。いや、そもそも「アンブレイカブル」はヒーロー誕生譚として大傑作だったと思うんですよ。でも、本作を観るとそれはその一部でしかなく、逆にヒーロー誕生譚とは思えなかった「スプリット」さえもそう感じられてしまう。この2作があったからこそ、ヒーロー誕生の物語「ミスター・ガラス」が成立するし、「ミスター・ガラス」は過去2作にしっかりと意味を持たせてもいる。これこそ続編、いやシリーズものとして完璧に”面白い”形だと思うんですよ。BTTF的というか、続編を見ると過去作が違った見方を出来るようになる。ただお話の続きやよりド派手な展開をするんじゃなくて、こういうシリーズ全体を見据えたシリーズものが、やっぱり私は好きなんです…。






不死身そして悪を見破る男、デヴィッド・ダン”監視者”
設定からして最強なデヴィッド。でも彼には大きな弱点があるんですよね。それは”水”と”ヒーロー思想の欠如”。水はもろ弱点で、少しの水でも溺れてしまうし、彼はこの19年自警団的活動をしていたことや、レインコートで自分の存在を隠していたことからも、彼はヒーローとして活躍しよう、コミックのようなヒーローになろうという意思がほとんどない。でも正義感はあるからこそ19年間ひっそりと人々を救っていた。つまり彼は、最もヒーロー的能力を持ちながら、最もヒーローを信じていなかった。
だから彼はステイプルの疑いを100%バカにはできなかった。そんな彼が終盤、イライジャの挑発により人前に出て戦うことを決心する。つまり、ヒーローになることを決意する。これこそ、ヒーロー誕生譚ですよ。
アンブレイカブル」で能力を知り、「ミスター・ガラス」でヒーローを知った。こんな、見事なヒーロー誕生譚を見せてくれるなんて!!
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24の人格を持つ男、ケヴィン”ビースト”
どこかで聞いたことあるような、そんな設定なケヴィン。そう、彼は実際にいた人物ビリー・ミリガンそっくりの設定なんですよね。
そんなケヴィンが誘拐犯となる前作「スプリット」。この映画の面白いところは、誘拐された女子高生が脱出するための手がかりが、監禁部屋のアイテムではなく、誘拐犯の人格ってこと。さらに、その事件を経て被害者であったケイシーが誘拐犯によって、叔父からの解放という成長をする。誘拐事件が軸と思ったらそれを踏まえた成長物語だってところ。

しかし、正直前作だけだとケヴィンの成長があまり際立っていない。彼は”ビースト”という人格を作り出すけど、それによって成長するどころか成長を妨げる結果になってしまっていると思う。彼はこれまで、何か問題に直面すると新しい、その問題に適した人格を形成することで乗り越えてきた。けど、”ビースト”という人格は自分の勝手な正義感と圧倒的な暴力で何もかもをねじ伏せてしまう。”ビースト”という人格は、どんな問題も粉砕できてしまうけど、解決はできない。さらに問題という壁がもうなくなった彼は、これ以上成長できない、のかもしれないんですよね。
そして本作ですが、もう、彼の成長が一番泣きました。ケイシーのおかげで、彼は人格を新しく形成するんではなく、人格自体を成長させることで、彼ら自体を成長させたんですよね。彼は「スプリット」で自分の真の理解者を得て、「ミスター・ガラス」でその理解者によって成長出来た。
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天才的な頭脳と脆骨を持つ男、イライジャ”ミスター・ガラス”
そして本作のタイトルにもなっているのがミスター・ガラスことイライジャ。ダンとケヴィンは、2人ともベタなヒーロー誕生譚を経ているのに対して、彼は順当に、それも理知的にヴィランの道を行くんですよね。バットマンとジョーカーが、ヒーローがいるからヴィランが現れるという鏡像関係なのに対して、ダン、ケヴィンとイライジャはヴィランがいるからヒーローが現れた鏡像関係(よくよく読んだら当たり前な文章だけどもw)で、もっと言えば”ヒーローという存在がなければ生まれなかったヴィラン”なんです。ヒーローという存在を信じているからこそ生まれた悪。
本作は、彼の思惑通り世界中に”能力を持った者”が示される。これは平たんな世の中の終焉を意味している。この後、もしかすると新たな”能力を持った者”が現れてヒーローにもヴィランにもなるかもしれない。そんな、”ヒーロー”という概念の誕生が描かれた本作。いやね、この映画を観た後に、今や無数にあるヒーロー映画を観ると、まるでヒーロー映画がひと繋ぎになっているかのような錯覚をしそうな気がするんですよね。ヒーローという概念が定着したからこそ、ここまでコミックが”実写化”され、まるで”現実にいる”ように描かれているじゃないか、と。そしてそれは、イライジャの思惑通りなんですよねぇ。
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現実世界での”彼ら”
もちろんダンのような不死身な人間は本当にいるかわかりませんが、ケヴィンのように24の人格を持つ人はいたんですよね。かなり有名なので知っている人も多いとは思いますが、上記した通りその人こそビリー・ミリガン。
彼は、24の人格を持つ人物で、劇中のケヴィンと同じように、誰が選択されるかは”照明”によると証言している。

ビリーミリガンは3件の強姦強盗事件で逮捕され、その後の裁判にりよ彼が解離性同一性障害であると明らかになる。そして、彼は精神病院に送られ、厳しい世間の目や治療という名目の虐待、一方で真っ当な本格的治療を受けることで、彼の人格を統合する”teacher"という人格が新たに形成され、ビリーを含む他の人格を抑えることで社会復帰を成し遂げる。

びっくりするぐらい、ケヴィンの境遇と同じなんですよね。でも、最後だけが違う。ケヴィンは、”ビースト”含め様々な人格をチャンネルのように切り替えることで精神病院から脱出したのに対して、ビリーは”teacher”という人格以外を抑制することで社会復帰をした。当然、強姦強盗事件は許されないことだし、ビリーは復帰後にこの行為を許されない事だと認め、さらにこの行為が自分が子供のころ義父から受けた虐待を容認しなければならないほどの愚かな行為だったと述べている。

私が引っかかるのは、”社会復帰”という言葉なんですよね。自分の能力を抑え、社会的に”普通”になることと、自分を解放し社会的に”異常”になること。誰もが住みやすい、平等の世の中を目指そうとする現代は、彼のような人物の生き方のどちらを選択させるのか。
まだまだ、人が生まれつき持つ能力や差を容認するには、現代があまりにも至っていないことを目の当たりにしました。今大学生の私が子供の頃、つまり一昔前まで、左利きでさえ矯正されていたんですから。



是非、過去の2作を見た上で映画館で観てください!!