「スリー・ビルボード」感想!!! 完全ネタバレあり!

全く知識を入れずに見てきました、「スリー・ビルボード」!
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この映画で私は二通りの感想を抱いたんですよね。1つは、希望のお話。もう1つは絶望のお話。


まず希望のお話としての感想。
映画を見始めてすぐ、ミルドウッドという母親の娘がレイプされ、焼死体として発見されたという事実から観客はミルドウッドに共感する。なんて痛ましい事件なんだと…。
そしてミルドウッドは看板を立てる。「レイプされて殺されたというのに。」「未だ犯人が見つからない。」「なぜ?ウィロビー署長?」という文面をデカデカと。
これを見た警察署署長のウィロビーと部下のディクソンは憤慨し、看板を下げるように画策する。ここも、「ざまぁみろ!怠慢警察が!」と痛快にすら感じるんです。刑務をサボるウィロビーと、暴力的で差別的なディクソン。この2人をはじめとして、ミルドウッドと観客は警察という組織に不信感を抱く。もう、ミルドウッドにとって敵は犯人だけでなく、その事件にかかわる全ての人間になっている。
そんな中、ミルドウッドは歯医者で看板について言及され、歯医者の爪をドリルで削ってしまう。この時、観客はハッとさせられる。ああ、この人には共感できない…。
それ以降、次々と行われるミルドウッドの行き過ぎた行動。そしてついに、、ディクソンが広告会社のレッドを窓から放り投げてしまう。

ここまでで観客は
ミルドウッド=かわいそうな母親→狂人
ディクソン=暴力警官
ウィロビー=怠慢野郎
という印象。

しかしある出来事をきっかけにこの構図は崩れる。ウィロビーの自殺で。そのあと、実はウィロビーは捜査をしていて、さらに看板にも肯定的だったとわかる。そしてディクソンをしっかり思いやっていたことも。この出来事でディクソンは暴力ではない解決法を考えるように、ミルドウッドの行動も次第に落ち着いた。

ここで
ミルドウッド=かわいそうな母親→狂人→気の強い母親
ディクソン=暴力警官→改心しようとしている元警官
ウィロビー=怠慢野郎→縁の下の力持ち
という印象に変わる。

そしてラスト。ディクソンとミルドウッドは、(本当はレイプ犯かどうかもわからない)軍人を始末しレイプ事件を未然に防ぐため彼の家へ急行する。そこで2人は、本当に殺すのか、という問いに「あんまり」と答える。この「あんまり」っていうのは、何重にも意味が考えられる言葉ですよね。

この何が希望のお話なのか。それは、最初見たときミルドウッドは可愛そうだったし、ディクソンは最低野郎だったし、ウィロビーは仕事せずに自分のことばかりという印象だったのに、最後にはミルドウッドは狂人を乗り越えた母親、ディクソンは改心しようとする男、ウィロビーは実は皆の幸せを願っていた縁の下の力持ちだったとわかる。
この3人は、見ている場面によって善良にも懲悪にも見える。そう、人間っていうのは、勧善懲悪なんて人間はいない。誰しもが善良に成り得るんだという、希望の物語。




一方、絶望のお話としての感想。
そもそも、ミルドウッドは犯人を見つけ出して何がしたかったのか。もしレイプ犯の刑罰が言い渡されたところで彼女は納得するだろうか。
たとえ極刑が下っても、ミルドウッドは納得しないだろう。

ウィロビーはなぜあのタイミングで自殺したんだろうか。自殺する覚悟を決めていたなら、職務を引き継ぎたり、もっと族がミルドウッドを恨まないような選択はなかったんだろうか。もっと、家族が絶望しないやり方はなかったんだろうか。
ディクソンがレッドに行った行為は、通常ならかなり重い罪のはず。なのに警察をクビになるだけで済んでいる。そして大けがを負ったディクソンがレッドと出会うと、彼はディクソンを許したかのようにオレンジジュースを渡す。しかし、レッドの前にもし元気な状態のディクソンが現れ、謝罪したらどうだろう。彼は許せただろうか。「警察をクビになった。これが罪に対する罰だ」と説明して納得しただろうか。レッドは、全身大やけどを負ったディクソンだからこそ、許したんじゃないだろうか。だとすると、この全身大やけどこそが罪に対する罰。この罰は行き過ぎているのか、いないのか。それはディクソンにも、レッドにもわからない。

この話は、罪に対する罰を課すための法律という概念は、そもそも他人が決めたルールでしかないと感じた。
ミルドウッドは法律上の罰では納得しないし、ウィロビーの行動も自己満足に満ちており家族が恨み、それは罪になるかもしれない。ディクソンは法律上の罰は受けていないが、レッドという裁判官から大やけどという罰により許された。
罪に対する罰は、人個々に異なる。だから法律なんて概念でくくるのは無理なんじゃないだろうか。罪と罰には、復讐心が付きまとう。そう考えると、一度罪が起こると、永遠に罰が終わることはないんじゃないだろうか。もしこのラストの後、ミルドウッドとディクソンが軍人を撃ち殺したとき、さらなる罪と罰が生まれる。この連鎖を止めるのは、もはや我々には不可能じゃないだろうか。
人間という、思考する機能を持った動物だからこそ、この連鎖からは永遠に抜け出せない絶望なんじゃないだろうか。。。そんな人間に対しての絶望のお話。


色んな解釈があると思うので、皆さんの解釈を教えてくださるとうれしいです(*´ω`*)!!

最後に、町山さんの本作の解説がかなり納得しやすいので、是非聴いてみてください!3つの看板って、そういうことかー!!