「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」感想!!!!”映画作りが大好きだからだ!!”

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2D字幕)

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”映画作りが大好きだからだ!!!”

そんな声が聞こえてきそうな、映画好きによる映画好きのための映画こそが本作。

 

凄惨な事件を、タランティーノがまさに”描き切る!!!”

 

 

 

 

 

 

 

魅力的で色気のあるキャラクターたち

本当に楽しみで楽しみだった、大好きなクエンティン・タランティーノ監督最新作!!!

最も好きな監督と言っても過言でないほどタランティーノが好きなんですが、それは世界中の映画ファンの数割はそうなのかもしれないと思う。なぜなら、彼の作風は一貫して”映画が好き”というパワーに満ちているから。映画が好きという気持ちを、ダイレクトにぶつけて再確認させてくれる。だから、映画というコンテンツが好きなほどタランティーノが好きになる。

 

そんなタランティーノ作品の魅力の1つはやはり強烈なキャラクターたち。そして本作でもそれは健在。

ディカプリオ演じたリックは、顔はイカツイのに自己嫌悪で子犬みたいな顔になるし、すぐ泣いちゃうし、リアクションも可愛い。

ブラピ演じたクリフは、顔の通りイカツイ性格なんだけど、彼はリックよりも貧相な暮らしをしているのにリックのわがままに常に付き合ってやる。それは彼が世話好きというのもあると思うけど、クリフの魅力は地元の優しいヤンキーみたいな感じ。腕っぷしでブイブイ言わせるけど、守る者はちゃんとわかってる。だから彼はリックよりも幸せそうに毎日過ごしてる。

マーゴット・ロビー演じるシャロンテートは、ほとんど彼女の内面みたいな描写がない。何が描かれるかといえば、シャロンテートという役者のフィルモグラフィの断片。だけど、その断片が本当に可愛い。新婚、未来有望な仕事、友人に囲まれた生活…全ての幸せを手に入れ、そして手に入れようとしている。そんな彼女が自分の出演した映画を映画館で、観客の反応をニヤニヤしながら観に行くシーンはもう可愛すぎる。ああ、こんなに生き生きと、女優という人生を楽しんだんだ。そうだ、彼女は被害者の前に役者なんだ、と思わされる。内面が無いからこそ、彼女はシャロンテートだった。

 

 

 

 

1969

本作の舞台は1969年。もちろん私はこの時代を生きてはいません。しかしタランティーノはそういう私達にも1969年という時代を”見せて”くれる。宇多丸師匠の言葉を用いるなら”思い出させてくれる”。

私が見た1969年は、まさに映画というモノが爆発的なエネルギーを持っていた時代。全てが少しずつ、流動的に変化するコンテンツの中で、右往左往する映画人。その映画人たちによってより強いうねりとなり渦を巻いていく。本作の舞台はハリウッドであると同時に映画でもある。衣装、音楽、街並み。全てが映画に染まった、それが私が見た1969年。

 

 

 

 

 

脚フェチ

映画好きの頂点ともいえるタランティーノの映画フェチ全開だった本作。しかし彼にはもう1つ病的なフェチズムがある。それこそ”脚フェチ”である。

 

彼は足を、執拗に撮りたがる。

そして私もまた、脚フェチである。

 

フェチが一致した者として、彼の撮る画は常に脚を中心に見てしまう。特に女性のシーンはもはやサブリミナル的に足を、それも生足を見せる。時にはホットパンツ、時にはスカート、時にはブーツを添えて。

そんなタランティーノが今回、新たに挑戦したのが”見せない”ということ。ヒッピー娘に3度目の正直で車に乗せてやることにしたクリフのシーン。このシーン、ホットパンツというかお尻を映すことで脚は映らないんですよね。脚フェチとしては、あのシーンはタランティーノらしさを唯一感じないシーンだった……かと思った私がバカでした。あれ?この”見えない”魅力はなんだ……これまで常に脚を見せて見せて魅せまくっていたタラちゃんが、ついに”見せない”という新境地にたどり着いたんですよ。もう、生足を撮りたいだけだなんて言わせない!!!

 

 

 

 

 

映画でケリをつける

さて本作で描かれたシャロンテート殺害事件は、映画人として未来有望だった1人の女優にとって、そして映画業界にとって衝撃的で悲劇的な事件だった。そんな事件を本作ではまさかのミスリードとして使い、最後には火炎放射器で加害者を焼き殺してしまう。この、終盤の襲撃シーンは本当に秀逸で、本作で最もタランティーノ節が出ていたシーンだったと思う。阿鼻叫喚というのがふさわしい、だけどそれだけ爽快な、”面白い!”というパワーと多幸感に包まれるシーン。そんなシーンで持ってきた火炎放射器は、リックが過去に出演した「マクラスキー 十四の拳」で登場した火炎放射器を使う。そのシーンはまさに映画そのものであり、映画として、この事件にケリをつけてみせた。

この作りは同じくタランティーノ監督作「イングロリアスバスターズ」的で、映画というモノがひどく傷つけられたこの事件に対して、映画でケリをつけた。

 

 

 

言い訳に使うんじゃねぇ!

そして、本作はその事件にケリをつけるだけでなく、現在の映画の観方に対してもケリを付けている。本作の原理で言えば、ヒッピーたちの殺しの動機は「殺人を教えてきた映画というモノを殺す」ため。確かに、映画はこれまで数々の殺人シーンを作り出し、それを娯楽として売り続けてきた。そしてそれについて議論が生まれ、現在も現実で犯罪を犯す動機になるのではないかと警鐘を鳴らす人もいる。

そんなバカげた考え方に、本作はケリをつけた。犯罪を犯した理由に、言い訳に映画を使うんじゃない。犯罪は犯した者が悪いのであって、それはどんなモノを見て、触って育ってきたかが問題じゃない。そんな理由で、映画が規制され、縮小していくなんてふざけんじゃねぇ。

 

もっと身の回りの話にすれば、シャロンテートが映画館で前の座席に足を置いて鑑賞していたシーン。私は以前、映画館でオッサンが前の席に足を置いていたことを物凄く批判しました。

いやいや、あんたの大好きな監督の映画でもやってるから良いじゃない。悪い事じゃないでしょ。映画でやってるんだから。

……そんなわけあるか!!例えシャロンテートが足を置いていたとしても、それを現在日本で、映画ではなく現実でやったら迷惑なんだよ!!

 

映画を、犯罪やマナーの悪さ、喫煙などの理由にする。そんなバカげた理論を、本作ではぶっ飛ばしてくれてる。それも完膚なきまでに。

 

 

 

 

映画が大好きだからだ

なぜタランティーノはそんなことをするのか。それは、映画が大好きだから。彼の撮影現場では、再撮影なんかの前に必ずスタッフ全員で「Because we love making movies!!!(映画作りが大好きだからだ!!!)」と号令する。現在、シャロンテートといえばあの事件だし、リックダルトンもかなりマイナーな俳優だと思う。そんな中で、本作ではシャロンテートの出演作、リックダルトンの出演作を中心に物語が進んでいく。それは、歴史的名作になれなかった作品たちであり、役者たち。だけど、そんな作品が積みかさなれば映画の時代という歴史が見えてくる。映画史において、いらない作品なんて1つもない。映画が大好きだからこそ、どんな映画も、役者も、映画人も愛する。そんなタランティーノの愛に共感できる。映画が好きであれば好きであるほど、本作のことを好きになってしまうという、まさに虜になる作品でした。

 

 

 

最後に

あと1作で監督を辞めてしまうのは非常に残念でなりませんが、タランティーノ監督はまた大傑作を作り上げてくれました。

いつもとは少し違う、でもいつもと同じな、そんな繊細な作品である本作を、是非映画館で観てください!!

 

……1つ不満を言えば、タイトルが言いにくい!!!