「サタンタンゴ」感想 438分という上映時間は眠気と疲労、そして”体験”をもたらす。 ※重大なネタバレはなし

「サタンタンゴ」

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上映時間438分。料金3900円。

人はなぜ、この異常な数値に魅力を感じるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

8時間という体験

なんといっても、この映画で最初に注目されるのはその上映時間。なんと438分(7時間18分)。さらに本作はその長い上映時間でわずかカット数150という異常な数字。

さらに、これは映画館にもよるかもしれませんが私の見た映画館ではインターバルが2回、各15分挟むために合計上映時間は約8時間。

 

正直、内容ではなくこの上映時間を興味本位で鑑賞しました。しかし意外や意外、この映画には8時間でしか成し得ない”体験”があったのです。

 

 

 

 

 

イリミアーシュ、帰村するってよ。

第一部は主に、イリミアーシュという人物が村に戻ってくるという噂を聞いた村人と、イリミアーシュについて描かれる。

全体的に見ごたえのあるイリミアーシュのパートもあり、さらに村では横領の計画を立てる夫婦が出てきたりと序盤として盛り上がり所がしっかりある一方で、この腐敗した村を俯瞰的に観察している医者の話でこの第一部が締められるんですが、この医者の話し方やテンポ、そしてカメラワークに至るまで正直究極に退屈に感じてしまいました。

イリミアーシュたち、フタキといった本編中でも魅力あるエピソードが連なっているのに、それを”もう一度観るだけ”の医者パートは要らないんじゃないだろうかという印象も持つパートでした。

 

 

 

 

 

死んだ猫と死んだ娘

第二部で描かれるのは主に2つで、1つ目は猫と女の子の話。親が売春に明け暮れているために家に入れない女の子が、野良猫を虐めだししまいには毒殺してしまう。さらにその死体を抱えて村を走り回り、ある酒場での酔っ払いを見つめ、最後にはあることが起こってしまう。猫への暴力描写、さらに女の子の異常な行動が不穏な空気感を村にまき散らすようなパート。この不穏感はもちろん観客にも蔓延し、この映画は一気に怪しげな、ホラーサスペンスのような緊張感を持つことになる。

もう1つがイリミアーシュについて酒場で会議する話。ここはかなりギャグパートになっていて、死んだはずのイリミアーシュについて語り合うべく酒場に集まった村人たちが、酒を飲んで盛り上がり、タンゴを踊り狂ってしまう。ここで完全にこの村人たちはダメだ、この村はダメだ…という印象を受ける。ギャグっぽく見せつつ、しかし前半の女の子と同じ視点も見せることで緊張感とギャグが交差する、8時間の分岐路のようなパート。

全体を通して、この第二部は観客の感情をコンスタンスに動かしてくれるため、飽きずに時間も感じずに見ることが出来るわかりやすく面白いパートでした。

 

 

 

説教

第三部では、ついに戻ってきたイリミアーシュによる説教が主な話。彼は頭を使い、行動を起こし、それを見せつけることで、それが全くできていない村人たちにとっての救世主として振る舞う。それを信じた村人は、自分達が意図した方向でない道に誘導されていく…。

 

この第三部(一応ネタバレを防ぐため軽くしか書きませんでしたが)は物語の締めになるんですが、正直蛇足感も強い印象。イリミアーシュの話は全体がやっとつながり魅力たっぷりなんですが、それを俯瞰視する残り2つのパートは、面白いのか…?と疑問になる。構成を、俯瞰で見せてからイリミアーシュが戻ってくるパートにしても良かったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

438分

長々とネタバレを抑えつつ本作の語ってきましたが、この話だけならきっと2時間の映画でも収まるスケールなんです。

公式サイトのあらすじ『ハンガリー、ある田舎町。シュミットはクラーネルと組んで村人達の貯金を持ち逃げする計画を女房に話して聞かせる。盗み聞きしていたフタキは自分も話に乗ることを思いついた。

その時、家のドアを叩く音がして、やって来た女は信じがたいことを言う。

「1年半前に死んだはずのイリミアーシュが帰って来た」、と。

イリミアーシュが帰って来ると聞いた村人たちは、酒場で喧々諤々の議論を始めるが、いつの間にか酒宴になって、夜は更けていく。翌日、イリミアーシュが村に帰って来る。彼は村にとって救世主なのか? それとも?』

というサクっと読めるこの文章のストーリーだけで、約4~5時間は費やす。

公式サイト→http://www.bitters.co.jp/satantango/

 

 

ではなぜ、これほどまでに長い上映時間なのか。そしてそこに何が生まれるのか。この映画は、観るのではなく体験する映画なんです。休憩含め8時間という時間が織りなす一体感。イリミアーシュという異物が村に戻ってくることで村人たちは焦り、しかし救世主になるかもという期待もしている。同じく観客も、イリミアーシュの帰還というこの物語が大きく動く転換期を待ち望んでいる。

村全体の一夜を、例えば掃除するシーンは全て終わるまで見せ切るなど、映画的に見せなくても良い部分まで見せ切ることで生まれる、”生活”という描写。これは短くテンポを重視した見せ方では絶対に成し得ない描き方で、観客は椅子に座りつつ、いつの間にかこの村の村人の一員になってしまう。

 

トランス状態のような謎の感覚に包まれることで、8時間という時間が苦にならなくなってきた観客たちにとって、本作の上映時間こそが”悪魔のタンゴ”を踊るかのような、背徳感と満足感、生活感を摂取するような時間になる。そして、上映が終わり帰宅すれば、もう二度とあの村には戻れない。8時間という時間が作り出す奇妙な感覚こそ、まさに”映画体験”であり、これは映画館でしか体験できない、いやこの映画でしか体験できない。

 

 

 

 

最後に

よく映画の感想で”共感する”という言葉を使いますが、この映画は共感という場所に止まらず、そこに住んでいるような感覚にまで到達する。長い長回しに眠気を誘われたり、酔っぱらいによるダンスを延々と見せられたり、つかみどころのない話を聞かされたり…。そんな一見無駄ともいえる描写の数々が、それは眠気に負けて寝てしまい見れなかった描写含め、”そこにいる”という体験を紡ぎ出している。言葉では説明できない、あらすじでもネタバレ解説でも説明できない、唯一無二の映画体験。

 

これは是非、映画館で体験してください。