「名探偵ピカチュウ」感想!!!1人のポケモン直撃世代が観た、ハリウッドのポケモン映画!!

「名探偵ピカチュウ」(2D字幕)

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※本ブログ投稿主は、ゲーム版「名探偵ピカチュウ」をプレイしておりません。ご了承ください。

 

 

 

 

私のポケモン経験は、映画でいえば「水の都の護神 ラティアスラティオス(2002)」~「ギラティナと氷空の花束 シェイミ(2008)」

ゲームで言えば「ポケットモンスター サファイア(2002)」~「ポケットモンスター ダイヤモンド(2006)」までの第1直撃世代と第2直撃世代の間、いうなれば第1.8直撃世代という感じ。

ポケモンと共に少年時代を歩み、今もなお映画は観返す作品もあったり、ポケモンゲームをちょこっと触ってみたりするぐらいのミーハーなファンです。

 

そんな私が、本作をどう観たのか!

 

 

本日のお品書き

 

 

 

 

 

 

ポケモン”映画”の魅力とは

ポケモン映画、それこそ初期の方の作品の魅力。それは、ポケモンを”生命”として扱い、ポケモンならではの問題提示をしてくれるところ。いつも慣れ親しんだキャラクターたちが、空を飛び、野を駆け、水を飲み、遊んでる。そんな”生命”の息吹を感じさせてくれる描写があることで、ポケモン”という存在が現実にいるかのように感じられる。

ポケモン映画を観ると、いつもやっているゲームの仲間たちがより一層可愛く見えるし、頼もしくも見える。ポケモン映画は、子供にもわかりやすく”生命”を教えてくれる映画なんです。(特に初期は)

 

そんな中でも、私がイチオシなのが2002年公開の「水の都の護神」。この映画のあるシーンが、上記したことを完全に物語っているんですよね。それは、ポッポが水飲み場で水を飲んで顔を洗っているところ。なんとなしにこのシーンはあるんだけど、このシーンはまさにアルトマーレ(ヴェネチアがモデルの街)にポケモンが住んでいる、ポケモンを実在的に感じられるシーン。

この映画は実在の街を題材にした初めての作品で、この水の都という構造自体が物語の大きなカギを握っているんだけど、その街とポケモンが完全に”共生”している。そして、お話の最後はポケモンでしかできない、ちょっと大人な終わり方をする。正直、本作よりもめちゃくちゃ激推しの映画なので、もし見たことない、ポケモンあまり知らないって人は是非観てください!!

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ポケモンとの共生

そういう意味で、本作はかなり良い線付いてると思う。実写というかなり高いハードルにも負けずに、ピカチュウを始めとして色んなポケモンたちが実在感を持って登場してるし、ちゃんと街にポケモンがいる!と思わせてくれる。

けどこの映画のポケモンたちは、アニメのポケモン映画のポケモンたちには、”実在感”という意味では明らかに負けていると思う。本作のポケモンも、ルンパッパがカフェの店員をしていたり、カイリキーが交通整理をしていたり、ドゴームがスピーカーの代わりをしていたりと、人間の生活に溶け込んでました。けど、これは人間の手伝いをしているのであって、人間がポケモンの手伝いをしているシーンはほとんどない。餌をあげるでも、遊んであげるでも、撫でてあげるでも。だから、どうしてもポケモンに対して”生き物”というよりは”お手伝いさん”の意味合いを強く感じてしまう。実写でビジュアルもかなり頑張っていただけに、ここで点を取り逃してしまうのはかなり残念でした…

 

 

 

 

ポケモン”ゲーム”の魅力とは

上記したものと被る部分もありますが、ポケモンゲームの魅力はなんといってもポケモンバトル。旅で見つけた仲間たちを育てて、ライバルと対戦する。育成要素と戦術要素が合わさって、バランスの良い、わかりやすいのに奥が深いのがこのゲームの特徴だと思ってます。それに、ポケモンゲームでもちゃんと世界観を構築していて、ポケモンバトルを仕掛けてくる人もいればただ飼っている人もいたり、一緒に作業してる人もいる。ポケモンがいる世界を旅するワクワク感こそが、ポケモンゲームの魅力ではないでしょうか。

 

 

 

 

ポケモンバトルと本作

一方で、本作では都会であるライムシティではポケモンバトルもポケモンボールも無し。確かに、生物として扱う上で、強制的にバトルをさせたり捕まえたりするのは良くないという判断なんだと思います。

けど、この要素を削いでしまえば、もうそれは”ポケモン”と言えるんでしょうか。ポケモンの世界観では、ポケモンバトルは一種のスポーツとして設定されている。(瀕死になったりするけどもw)だから、ポケモンは”死なない”し、ポケモンが技を覚える時は”○○を覚えたがっている”と記載される。設定として、ポケモンボールで無理矢理捕まえて戦わせているのではなく、仲間として認識したうえで初めてボールに収まってポケモンもトレーナーも一種のスポーツとしてお互い高みを目指している。(プレイすればかなりこのラインはあやふやになりますが、あくまで設定としてです)

なのに、この映画ではポケモンバトルは違法とまで言われる始末。正直、上記した”ポケモンをお手伝いさんとしか見ない”スタンスでここだけ表面上、生命だから戦わせたりしないよ!というのは虫が良過ぎると思うんです。ポケモンバトル描写したくないなら、そもそもポケモンを題材にするなよ!!

 

 

 

探偵モノ

アニメ、ゲームと本作が一番異なる点がこの要素だと思う。けどこの要素、そこまで盛り上がらないんですよね…。

父と同じ体験をしていくことで父の思いを知っていく流れはかなり良いのに、探偵モノの魅力である推理が、誰かから聞くスタンスがほとんど。ピカチュウが事故現場で行う推理シーンなんかはかなり面白いし、そこをもっとクローズアップしてほしかった。

そして、なんといってもオチですよ。ミュウツーの能力が実はこれでした!!だから計画が進みます!!って、そりゃないよ!!それなら前々から、ちゃんとミュウツーは生命をコントロールする力があるとか、そういう前振りしておいてくれないと、急に後付けでそんな重要な設定言われても!そして、この設定聞いた瞬間にピカチュウの正体分かっちゃうじゃないか!!探偵モノなのに!!

 

 

本作の魅力

え?じゃあこの映画楽しめなかったの?という人多数だと思います。けど、本作の魅力はそこじゃないんです。本作の魅力は2点。

まずは、誰もかれもが言っている所ではありますが、ポケモンたちが可愛い。一瞬しか出てこない、窓に張り付くキモリから消火作業を手伝うゼニガメ、料理を手伝うヒトカゲに優しいフシギダネ。パニックになるコダック、”うたう”を延々続けるプリン、バトル中のゲンガーに街を堂々と歩くドードリオ。もう、みんながみんな可愛いし、懐かしい。

でもやっぱり、ピカチュウは群を抜いた可愛さがありました。ライアンレイノルズのマシンガントークからの「ピカピカァ」があざとすぎて可愛い。しょんぼり顔もパニック顔も、どんどん表情が変わって可愛い。喧嘩しても歌ってしょげないようにするの可愛い。もう、全身全霊で可愛い。モッフモフのピカチュウを、存分に出し切ったことこそが、本作最大の魅力だと思う。

 

もう1つの魅力は、ポケモン愛”。慣れ親しんだコンテンツが海外で映画化されると、なんだか自分の好きなものが世界に認められた気がして嬉しいですよね。もちろん、ポケモンは昔から海外でも人気でしたが、こうして形として海外が提示してくれると、”ああ、ポケモン好きで良かったなぁ”と感じられる。

それに、いちいち技名を言わないでもポケモンたちが繰り出してる技がわかるように丁寧に作られているし、ピカチュウの「10万歩」は完全に”ポケットピカチュウ”要素だし(10万歩は足こぎ自動車が見れるみたいですw)、こういう細かい所まで丁寧に、愛が伝わってくる。

そんな中でも、1番愛が詰まっていたと思うのがエンドクレジットですよ!

初代ポケモン画面からの、本作の登場人物たちをポケモン風イラストでクレジットする。こんなオシャレで愛深いエンドクレジットが来るとは思ってなかったので、つい泣きそうになりました……

 

 

最後に

色々言いたい事言っちゃった気がしますが、ちゃんと楽しい作品だと思います。何より、ハリウッドが真剣にポケモンを作ってくれた。ここだけでも、観る価値ありです!

「水の都の護神」と一緒にご鑑賞ください!!